「旅の記録」掲示板

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いろいろ - 匿名

2017/08/14 (Mon) 02:23:18

長くなってきたので、新しいスレッドにします。

>事業中路線の完成

参考までに、各都道府県別の
高規格幹線道路(A/A'/B)路線
供用開始順ランキングを作成してみました。

①滋賀県 1963.7.16(名神)
①京都府 1963.7.16(名神)
①大阪府 1963.7.16(名神)
①兵庫県 1963.7.16(名神)
⑤岐阜県 1964.4.12(名神)
⑥愛知県 1964.9.6(名神)
⑦三重県 1965.12.16(名阪国道)(※1)
⑦奈良県 1965.12.16(名阪国道)(※1)
⑨東京都 1967.12.15(中央道)(※2)
⑩神奈川県 1968.4.25(東名)(※3)
⑩静岡県 1968.4.25(東名)
⑫山梨県 1969.3.17(中央道)(※4)
⑬千葉県 1969.4.25(京葉道路)(※5)
⑭熊本県 1971.6.30(九州道)
⑮北海道 1971.12.4(道央道・札樽道)(※6)
⑯埼玉県 1971.12.20(関越道)(※7)
⑰石川県 1972.10.18(北陸道)
⑱栃木県 1972.11.13(東北道)
⑱群馬県 1972.11.13(東北道)
⑳富山県 1973.10.16(北陸道)
㉑福井県 1973.10.17(北陸道)
㉒山口県 1973.11.14(中国道・関門橋)
㉒福岡県 1973.11.14(関門橋)
㉔佐賀県 1973.11.16(九州道・長崎道)(※8)
㉕福島県 1973.11.26(東北道)
㉖宮城県 1973.11.27(東北道)
㉗鹿児島県 1973.12.13(九州道)
㉘和歌山県 1974.10.25(阪和道)
㉙岡山県 1974.12.21(中国道)
㉚沖縄県 1975.5.20(沖縄道)(※9)
㉛長野県 1975.8.23(中央道)
㉜宮崎県 1976.3.4(九州道・宮崎道)
㉝岩手県 1977.11.19(東北道)
㉞新潟県 1978.9.21(関越道・北陸道)
㉟広島県 1978.10.28(中国道)
㊱愛媛県 1979.5.13(しまなみ海道)(※10)
㊲青森県 1979.9.27(東北道)
㊳山形県 1981.4.15(山形道)(※11)
㊴茨城県 1981.4.27(常磐道)
㊵長崎県 1982.11.17(長崎道)(※12)
㊶島根県 1983.3.24(中国道)
㊷秋田県 1983.10.20(東北道)
㊸徳島県 1985.6.8(神戸淡路鳴門道)(※13)
㊹鳥取県 1985.9.7(山陰道)(※14)
㊺高知県 1987.10.8(高知道)
㊻香川県 1987.12.16(高松道)
㊼大分県 1989.7.20(大分道)

(※1)当時、高規格道路に値したかは極めて怪しい。
(※2)地域高規格道路を含めると、1964.10.6(第三京浜)。
(※3)地域高規格道路を含めると、1958.10.28(横浜新道)。
但し当時、高規格道路に値したかは極めて怪しい。
(※4)当時は、追い越し可能の対面通行。
(※5)宮野木JCT以南がA'路線のため。
京葉道路自体の初開通は、1960.4.29だが、
当時、高規格道路に値したかは極めて怪しい。
(※6)当時札樽道は一般有料道路。
(※7)当時は一般有料道路東京川越道路。
(※8)当時長崎道部分は鳥栖ICランプ扱い。
(※9)当時は一般有料道路で且つ右側通行。
(※10)当時は一般有料道路で且つ一般道規格。
(※11)当時は一般有料道路笹谷トンネル。
(※12)地域高規格道路を含めると、1967.11.17(長崎バイパス)。
但し当時は2車線で一般道規格。
(※13)当時の名称は本四道路。
(※14)当時は一般道バイパスで且つ一般道規格。

それで今度は、各都道府県別の
高規格幹線道路(A/A'/B)路線
全区間開通順ランキングを出してみます。

①香川県 2003.3.30(高松道)(※15)
②栃木県 2011.3.19(北関東道)(※16)
②群馬県 2011.3.19(北関東道)(※16)
④岡山県 2013.3.23(鳥取道)(※17)
⑤富山県 2015.2.28(能越道)
⑥大分県 2015.3.1(東九州道)
⑦広島県 2015.3.22(尾道道)

(※15)暫定区間全てで4車線化事業中。
(※16)全面開通(暫定区間無し)。
(※17)志戸坂トンネル部分は微妙である。

今年度開通予定の外環東側が完成すれば、
埼玉県がこの後に続きますが、
以上たった7都道府県のみで御座います。

香川県・大分県は、初開通が
最後の方まで取り残されたにも関わらず、
(大分県は唯一の平成に入ってから)
既に全区間完成を成し遂げた訳ですから、
如何に効率よく整備されたかが伺えますね。

現状、残り区間も事業化されていて、
まあ何時になるかは分かりませんが、
今後このランキングに載る見込みが
ありそうなのは、
確定している埼玉県のほか、
岩手県・宮城県・福島県・茨城県・新潟県・石川県・
福井県・愛知県・滋賀県・大阪府・長崎県・沖縄県
といったところでしょうかね・・・。

その一方で、
北海道・東京都・神奈川県・長野県・静岡県・京都府・
島根県・山口県・愛媛県・高知県・熊本県・宮崎県
などは、半永久的に無理な様な気もします。

Re: いろいろ - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/08/17 (Thu) 09:10:41

これは面白いランキングですね。
1970~80年代に高速道路網が全国に広がったのがよく分かります。一方で、やはり地方の超閑散区間(九州中央道や三遠南信道など)や、都市近郊の建設困難な区間(新東名など)を抱えていると全通が難しくなりますね。このような路線を有していない地域が早く全通に至っている気がします。

いろいろ - 匿名

2017/07/17 (Mon) 01:39:10

長くなってきたので、新しいスレッドにします。

>名神高速旧IC番号が未だに載ってる

https://www.obayashi.co.jp/chronicle/100yrs/images/figures/img23/p155_01.jpg

少々不鮮明ですが、当時の様子の写真です。

京都南ICは「33」のはずなのに、
何故教本では「5」なのかな、
しかも「5B」なんて表示はないのに・・・、
と幼少の頃、大きな疑問を抱いたものですが、
開通当初はそう表記されていたんだな、
と知ったのは、だいぶ後のことでしたね。

あと当時の出口表記について加えれば、
現在成田IC付近に設置されている、
「EXIT 〇 FOR X」の英語のみ表示が、
少なくとも京都南IC付近に設置されていた、
そんな写真を新聞またはネット上で、
見た記憶があります。

また、何かの映画シーンだったか、
東名の横浜IC(現・横浜町田IC)付近にも、
そんな標識が設置されていた様な、
ちょっと記憶があいまいですが、
そんな当時の映像があった気がします。

確かに仰る通り、同一出口が2つある場合、
はじめはABだったのに、
のちに追加IC等と同じく枝番に変わったのは、
何故だろうといった感じですね。

実は大山崎IC/JCTが供用した折に、
この京都南ICの複数出口枝番を、
どうするのかなと思っていたところ、
京都南ICの複数出口枝番はそのままに、
大山崎IC/JCTが33-3になったので、
意外でありつつも、なるほどと感じたものです。
で今度出来る高槻JCTは?
と思ったら、
まさかの新名神の番号を使うそうですね。
枝番はどうも〇-3までの様です。

なお複数の枝番が出そろった最初のケースは、
広島岩国道路の廿日市JCT(32)及び
廿日市(32-1)・大野(32-2)・大竹(32-3)
の各ICですが、これはまあ、特殊ケースです。
ですので、所謂通常のケースでは、西宮北IC(5)
及び、神戸JCT(5-1)・神戸三田IC(5-2)が
最初になります。これは1996年のことですので、
複数の枝番が並ぶのは、案外歴史が短いのです。
スマートICが出来てからは、こんなケースは、
珍しくも何ともなくなりましたけれどね。

>あの時期はサービス向上の一環で
>標識を改定する動きがありましたが
1987年を境に、一つの大きな変動がありました。
書体は変わったものの、現在も続いている、
ローマ字入りの出口案内標識が登場したのは、
まさしくこの時期ですね。
この標識の新規開通区間での適用第一号は、
今まさしく大雨の被害に見舞われている、
大分道の鳥栖JCT-朝倉ICとされています。
あと実は、この時期に同じくして、
嘗てはSAPAに特徴的に見られた、
道路施設協会文字が使われなくなりました。

あと参考までに。
新規の開通時におけるものですが、

∇バリアフリートイレ初設置
【関門橋】壇之浦PA/めかりPA[1973.11.]

∇可変式速度規制標識初設置
【中央道】大月JCT-勝沼IC[1977.12.]

∇2km超トンネルにおけるジェットファン初設置
【北陸道】敦賀トンネルⅡ期[1980.6.]

∇料金所屋根に番号・IC名等表記内照標識初設置
∇出口分岐部内照標識下段に番号・IC名追加
【東関東道】市川JCT-宮野木JCT[1982.4.]

∇トンネル内非常口案内ピクト君化〔再掲〕
∇初の天井板なし長大トンネル
【中央道】恵那山・網掛トンネルⅡ期[1985.3.]

∇トンネル内装全面タイル初設置
∇対面通行用センターポール初設置
【関越道】関越トンネルⅠ期[1985.10.]

∇現行様式出口等案内標識初設置〔再掲〕
【大分道】鳥栖JCT-朝倉IC[1987.2.]

∇入口自動発券機初設置
【道央道】三笠IC/美唄IC[1987.9.]

∇LED道路情報掲示板初設置
【浜田道】千代田JCT-旭IC[1991.12.]

∇現行型(薄型・SOS表示入り)非常電話初設置
【大分道】日田IC-玖珠IC[1995.3.]

∇角丸型標識初設置
【上信越道】須坂長野東IC-信州中野IC[1995.11.]

∇出口等標識一枚型初設置
【岡山道】岡山総社IC-北房JCT[1997.3.]

∇ETCレーン初設置
【アクアライン】木更津金田TB[1997.12.]

∇トンネル内蛍光ランプ初設置
【東名】日本坂トンネルⅡ期[1998.3.]

∇ETC一般表示一体型料金所初設置
【北関東道】前橋南IC/駒形IC/伊勢崎IC[2001.3.]

∇完成2車線規格初適用(中央部に壁仕切)
【東九州道】曽於弥五郎IC-末吉財部IC[2010.3.]

∇現行書体標識初設置
【東九州道】門川IC-日向IC[2010.12.]

∇トンネル内特大ピクト君初設置
【道東道】夕張IC-占冠IC[2011.10.]

∇フルカラーLED道路情報掲示板初設置
【圏央道】高尾山IC-八王子JCT[2012.3.]

∇対面通行用ワイヤロープ初設置
【道央道】森IC-大沼公園IC[2012.11.]

∇ナンバリング標識初設置(到底容認出来ない!)
【圏央道】境古河IC-つくば中央IC[2017.2.]

あくまでも個人的調査結果であり、
間違いがあるかもしれませんが、
こんな感じでしょうかね。

>名港西大橋だけが先に暫定2車線で開通
当時は無駄の象徴のように言われていたそうで、
何で態々先行で建設したのでしょうかね。
ほかの橋と同時期でもよかった気がします。
道東道も東海北陸道も、
そしてこの伊勢湾岸道も、飛び地で、
わずかしか供用区間がなかった時代は、
極めて通行量が少なく、
事あるごとにメディアにたたかれましたね。
それが今やどうでしょうか・・・。

Re: いろいろ - 匿名

2017/07/19 (Wed) 22:34:02

>高速自動車国道のインターチェンジ名で
>被っているのは郡山(東北道・西名阪道)だけ
>ではなく、本郷(山陽道・名二環)も

A路線限定ですと、
仰る通りその2箇所の様ですが、
A'路線・B路線・主要な高規格地方高規格道路
まで対象を広げますと、結構な数になりますね。

郡山IC・本郷ICの他に、
*浮島IC【旭川紋別道・アクアライン】
*大野IC【広島岩国道路・中部縦貫道・中九州道】※1
*大原IC【鳥取道・小郡道路】
*小郡IC【中国道・小郡道路】※2
*貝塚IC【阪和道・京葉道路】
*郡山南IC【東北道・京奈和道】
*十文字IC【湯沢横手道路・小郡萩道路】
*関IC【東海北陸道・名阪国道】
*高田IC【中国道・千葉東金道路・有明海沿岸道路】
*玉川IC【第三京浜道路・あぶくま高原道路】
*千歳IC【道央道・中九州道】
*長坂IC【中央道・第二神明道路北線】
*南郷IC【八戸道・京滋バイパス】
*西山IC【北陸道・のと里山海道】
*沼田IC【関越道・深川留萌道】
*平田IC【名二環・中村宿毛道路・あぶくま高原道路】
*平塚IC【小田原厚木道路・都城志布志道路】
*広川IC【九州道・湯浅御坊道路】
*福岡IC【九州道・能越道】
*松山IC【松山道・都城志布志道路】
*山田IC
【三陸道・仙台南部道路・千葉東金道路・指宿スカイライン(南薩縦貫道)】
*湯沢IC【関越道・湯沢横手道路】
*四日市IC【東名阪道・宇佐道路】

※1 嘗ては函館江差道にも存在(当該ICは改名)
※2 同一市・同一地区に存在

こんなところでしょうか。

あと、何故か東北に集中ですが、

*青森IC/青森中央IC【東北道・青森道】
*酒田IC/酒田中央IC【日本海東北道】
*白河IC/白河中央SIC【東北道】
*野辺地IC/野辺地ハーフIC【下北半島縦貫道路】

方角名なしは、”中央IC”という意味ですので、
これらは明らかに重複と思われます。

Re: いろいろ - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/07/20 (Thu) 15:02:20

コメントありがとうございます。

>京都南IC
お示しの写真は『名神高速道路建設誌』にも載ってますね。京都南ICの全貌がよくわかるいい写真だと思います。

>「EXIT 〇 FOR X」の英語のみ表示
英語のみ表示が京都南ICと横浜ICにもあったとは初耳ですね。気になるところです。当時の写真があればよいのですが……

>高槻JCT
高槻JCTの番号は新名神の系統で「11」になるようですね。個人的には、系統だってこそのIC番号であって、別系統の番号が混ざるのは美しくなく分かりにくいと思います。
京都南ICは当初のルールで「33A」「33B」として大山崎JCTは「33-1」、高槻JCTは「33-2」とすればよかったと思っています。

>複数の枝番が出そろった最初のケース
1996年とは確かに遅いですね。付番当時に予定があれば欠番になりますし、計画から完成までにかかる期間を考慮すると遅くなるのも当然のことかもしれません。

>新規の開通時におけるもの
これはすごいですね。お調べになった労力に頭が下がります。
現行書体標識は仰る通り新規開通箇所では日向~門川間が最初になるようですが、既存区間においては2010年の夏にはすでに設置されていた記憶があります。私自身が見かけたのは2010年12月東北道久喜ICが最初でした。

>名港西大橋
確かにここだけ先行したのは不思議ですね。Ⅰ期線と近接するせいでⅡ期線は難工事になったのに、そこまでして先に開通させる必要があったのかは疑問です。

>IC名重複
仰る通り、高規格幹線道路やその他の自専道まで拡大するとかなりの数に上りますね。
「中央」の有無は確かに実質的に同じ意味ですので、もっとうまい名前を付けられなかったのかなとは思います。

Re: いろいろ - 匿名

2017/07/21 (Fri) 21:58:17

>当時の写真があればよいのですが

京都南に関しては、ネット上で見た記憶が、
比較的最近だった気がしましたので、
是非とも T.T. さんに御覧戴きたく、
再びネットで探しましたが、
それがなかなか見つかりませんでした。

と諦めかけていたら、大変親切なことに今日、
その写真をツイッターに上げてくださった方が
いまして、それで漸く見つかりました。
当時のJH関西支社の魚拓のようです。
http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/237161/www.jhri.jhnet.go.jp/kansai/topics/0701/konjaku.html

>1972年に小牧JCTが開通した際、
>ジャンクションの案内標識体系を
>どのように定めるか

確かにその標識は、幼少のころにありました。
丁度中央道側の当時の写真がありましたので、
紹介しておきます。
https://clicccar.com/2017/04/23/461219/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%81-2/#gallery-position
ちらっと映っていますが、
どうも開通当初の中央道には、
最低速度標識が立てられていたようですね。

加えて、名神方面→中央道方面には、
当時から3段(今は4段)標識があったようです。

その3段標識が、結構後の時代まで残っていて、
異常に老朽化していたため、
当時、このまま放置していては、
確実に標識落下事故を起こすぞ!
と大変危険に感じた記憶がありますね。

また当時は、電光掲示板1つだったのですね。
今は方面別に複数設置するか、
兼用で横広のものを設置するかですが、
こういう風に変化したのも、
やはり電光掲示板1つでは、
とてもじゃないですが
対応出来ないことが判明したからでしょうか。

あと小牧JCTが開通してから、
恵那山TNが開通し、飯田と結ばれるまでには、
3年弱のタイムラグがあり、
それで、御示しになられた資料によりますと、
開通当初は「多治見」のみが、
表記されていたとのことですが、
現在と違って、マスキングの技術も、
当て板技術も確立していたとは思えない時代に、
また道路標識を作るアルミも貴重だった時代に、
一体どうしていたのでしょうかね。
やはり、3年弱で交換したのでしょうか。

なお、東名にあったこの手の分岐点標識が
設置された歴史を持つのは、この小牧JCTのみ、
また路線名だけ記された分岐部内照式標識が
設置されていた歴史があるのは、
小牧JCTと吹田JCT、2箇所のみです。

IC型の旧型JCT案内標識ですが、
小牧のほか、少なくとも米原、長岡、鳥栖には、
開通当初設置されていたようですね。
鳥栖(長崎道→九州道福岡方面)に何故今でも、
それも比較的最近の標識更新で以て、引き続き、
この型であり続けることになったのかは、
摩訶不思議な話です。

JCTは今や、高知県・長崎県(※1)を除く
45都道府県に存在していますが、
その標識は何度か大きく変化しています。
(※1)長崎多良見や川平など微妙な箇所はある。

昭和の終わりごろから、
紆余曲折はあったものの、
路線名・地名ともに英字表記が加わり、
平成の初期のころには、路線名の部分が、
緑地に白字が基本になったことがあったものの、
程なく元の白地に緑字に戻されました。(※2)

(※2)緑地に白字はその後、直接接続していない
路線名の表示に用いられることになった。

更に2000年代に入る頃から、表記が、
「〇〇道分岐」から「△△(地名)JCT」になり、
手前の標識は、「番号・分岐・距離」から
「番号・△△JCT・距離」に、
さらに分岐点には、「番号・△△JCT」の表示が
加えられる様になりました。

参考までに、
JCT設置放置が長年続いている記録は、
分岐部準備で止まっている状態では、
東名の東名JCT(1968.4.25-)で、
直進部準備で止まっている状態では、
名二環の名古屋西JCT(1988.3.23-)
になると思われます。
接続となる外環・名二環は、
共に建設が進んでいるようですが、
幾ら何でも2020年春までには、
完成させるつもりなのでしょうねぇ。

個人的には、東京五輪開催をする以上、
外環の東名-東関東道全通は言うまでもなく、
圏央道・東関東道・新東名海老名以西・新名神
これらの路線の全線開通は至極当然のこと、
と思っているだけに、
それらが満たされないばかりか、
外環すら間に合わないというのなら、
東京五輪開催の意義は全く感じず、
そんなんだったら、さっさと開催権を返上しろ!
と強い憤りを感じています。

>「福井」とは書かれているものの、
>中部縦貫道が福井まで全通するのは
>一体いつになるのだろうか…

つい先日、永平寺大野道路が全通し、
漸く福井北IC/JCT-大野ICが一本になりましたが、
大野IC-油坂峠は、
大野油坂道路として事業中です。
福井県としては、
北陸新幹線敦賀延伸が見込まれている
2023年までの全通を要求していますが、
まあやる気になれば出来るのでしょうけれど、
果たしてどうなんでしょうかね。

個人的には、敦賀までの中途半端な新幹線など、
必要性を全く感じないばかりか、
却って迷惑なくらいなので、
そんな資金があるならば、
中部縦貫道を全線開通させるほうに
資金を集中注入して欲しいと強く思うものです。

Re: いろいろ - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/07/23 (Sun) 14:26:03

コメントありがとうございます。

>京都南IC
ありがとうございます。これは貴重な写真ですね。当時英語のみの標識があったとは驚きです。

>小牧JCT
こちらも貴重な写真ですね。本文から判断するに1982年ごろのものでしょうか。(本文自体の内容はかなり問題ありそうな記事ですね(苦笑))

なお3段標識についてですが、同じ資料に「しかしながら、確認標識をいたずらに数多く設置することは、標識の有効性を減殺する結果となるので、現行の3段を最大限としたい。」
とあります。現在では4段どころか一部には5段もありますが、電光掲示板と同様、考え方の変化が伺えますね。

「飯田」の表記については、「(前略)中央道が多治見までの部分開通時を想定して、表現してあるので行先地名として、目標都市名の「飯田」が標示されていないが、飯田まで開通した時点では、直ちに追加すべく、スペースがあけられてある。」とあり、表記の追加を想定していたようでどうやら交換ではないようです。実際どのように追加されたのかは不明ですが。

東名といえば、日本の大動脈であるにも関わらず2003年になるまで小牧JCTしかジャンクションがなかったのもなかなか面白いですね。

>ジャンクションの標識
緑地に白字が基本だった時期があったのですね。確かにそのような標識も時々見かけます。遠からずレア物と化しそうですが……

「〇〇道分岐」に至っては、ほぼ絶滅に近い状態ですね。

>ジャンクション設置準備
東名JCTといえば、東名側の番号「2」は現存最古の欠番でもありますね。外環も名二環も重要な路線ですので早期開通を望むところですが。

>中部縦貫道
仰る通り大野油坂道路の事業化で、まだ先のこととはいえ福井~白鳥間の全通は見えてきてますね。何もない油坂峠出入口がいずれ立派なインターチェンジに造りかえられるのかと思うと楽しみです。

Re: いろいろ - 匿名

2017/08/01 (Tue) 21:08:14

>そのままヒラギノ化されている
普通、そうやって標識更新する折には、
「旧様式の表記は、新様式の表記に直す」
というのが暗黙の了解ですが、
意外とそういうのが少なくないのが現状です。
標識製造会社も、沢山の標識を作っていながら、
製造過程で違和感を抱かないのでしょうか。

大塩別所IC(播但道)出口行動点の
EXIT・IC名無し表記や、
名古屋西JCTの表記
・東名阪自動車道(現表記は「東名阪道」)
・名古屋市内(現表記は「都心環状」)
など、これが更新時に気付かなかったのか?
といった感じです。

また、JCTのIC型旧様式標識は、
名二環の楠・清州の2か所にも現存しています。
清州は21世紀に入ってからで、摩訶不思議です。

なお、JCTの路線名表記の英字表記ですが、
当初は路線名のみで、
後に路線名+EXPWYの表記に改められました。
関空道が開通した頃からでしょうかね。
それが今度はEXPですか・・・。

>瀬田西IC入口。このような書き方は珍しい。
同ICが開通したころは、
入口標識に番号やIC名称を表示するルールが、
まだ確立していなかった上に、且つ、
ハーフIC自体もそんなに多くなかった事から、
こういった表記で残っているのでしょうか。
標識自体、そこそこ古そうですし・・・。

>ナンバリングの波
全く以て不愉快な話です。
あんな高速道路を冒涜したナンバリングが、
このままごり押しで既成事実化していくのか、
と思うと、腸が煮えくり返る思いです。

ツイッターなどの意見を見ていますと、
あれだけパブリックコメントでは、
総スカンだったにも関わらず、
殆どの高速愛好者が、好意的に捉えている様で、
私のように、断固見直すべきと思っているのは、
とてつもなく少数派なのでしょうか。

ナンバリングは、誰が見ても理解し易い、
そういうもので無いと意味がありません。
理解し易いというのは、やはり規則性であり、
個人的には、名古屋高速と阪神高速が、
すっきりして分かりやすい例と思っています。

尚、名古屋高速も阪神高速も、
はじめから現在の路線番号では無く、
名古屋高速は途中で番号が変わっていますし、
阪神高速に至っては、数字では無く、
アルファベットで分別されていました。

私自身、パブリックコメントに書いたものとは、
また別の方法が、最近頭に浮かんできました。
真剣に考えたら、あの駄作よりはいいものが、
ざっと10種類以上は浮かびそうです。

何であれ、このままごり押しはあってはならず、
やはり再度、ナンバリングの附番方法について、
ネット・郵便・現地意見箱で、
一般公募をするべきだと強く思いますね。

Re: いろいろ - かっしー URL

2017/08/04 (Fri) 20:43:06

∇フルカラーLED道路情報掲示板初設置
【圏央道】高尾山IC-八王子JCT[2012.3.]

この記述ですが、少なくとも同じ圏央道の海老名IC開通時にフルカラーの情報板が設置されてるので間違いになりますね。

Re: いろいろ - 匿名

2017/08/04 (Fri) 23:06:55

>圏央道の海老名IC開通時に
>フルカラーの情報板が設置
これは仰る通りであり、訂正致します。
普及までにタイムラグがあり、
勘違いしていました。

Re: いろいろ - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/08/05 (Sat) 16:28:28

コメントありがとうございます。返信が遅くなり申し訳ありません……

>標識更新
更新する際にもなぜか元の形式が残ってしまうのは割とあることのように思います。古い形式が保存されるのは面白いですが、一般利用者からすると分かりにくいですね。

>JCTのIC型旧様式標識
仰る通り、名二環の楠・清洲にもありましたね。清洲は楠に形式を合わせた結果なのかもしれません。

>JCTの路線名表記の英字表記
確かに言われてみれば古い標識には「EXPWY」の表記がないですね。気づきませんでした。個人的には現行の「EXP」は気に入ってないです……

>瀬田西IC
仰る通り、古い様式の名残である可能性もありますね。ハーフインターでありますし行ける方向を明示するのは良いと思います。

>ナンバリング
ナンバリングをごり押しするのはオリンピックに間に合わせようという意図のためかと推測します。NEXCO西日本の方から聞いたことですが、2年内に標識を全てナンバリング対応にさせるよう国から求められているようです。2020年に間に合わせるためには余裕がなかったのでしょう……とはいえ路線番号の付与は将来にも大きな影響を与える重大な問題であり、たとえオリンピックに間に合わなくとも熟慮する必要があったと思いますが。

>名古屋高速と阪神高速の路線番号
名古屋高速の旧路線番号とは、路線名に基づいた番号でしょうか。阪神高速がアルファベットで分別されていたというのは初耳でした。

>フルカラーLED道路情報掲示板
確かに海老名ICにありましたね。読んでいながら気づきませんでした……さすがです。
改めて見てみましたが、「対面通行用センターポール初設置」とはラバーポールのことでしょうか。でしたら1988年10月の山形道村田JCT~宮城川崎ICが初のようです。こちらのページに記載があります。
http://www.mlit.go.jp/common/001122664.pdf

Re: いろいろ - 匿名

2017/08/06 (Sun) 02:07:45

>ハーフインターでありますし行ける方向を明示
現在では、インター名の下に、
「〇〇方面」と表示するのが基本になっていますね。

>2年内に標識を全てナンバリング対応に
>させるよう国から求められている

本来ならば、五輪開催をするにあたって、
高速道路関連で最も力を入れるべきことは、
ナンバリングをごり押しすることじゃなくて、
外環・圏央道・東関東道・新東名・新名神
最低限、これら事業中路線の,
2020年春までの完成を確実にすること、
それが当たり前の話なのに、
このままでは、
最低ノルマである外環すら間に合わず、
まさかのゼロ回答になりそうです。

過去の冬季五輪や万博などの例に倣って、
こんなことに大きな期待をしてしまった私が
大変愚かだったのですが、
それにしても、こんな有様だったら何も、
あのような莫大な費用をかけてまで、
態々五輪を開催する必要はない訳です。

それどころか、五輪を口実に、
あのような愚劣ナンバリングをごり押しして、
高速道路のプライドを冒涜しまくられるのでは、
正直言ってやってられません。

【追記】
ついに道路交通情報サイトも、
ナンバリングの軍門に降った様です。
今年は何とか免れましたが、
来年以降は「道の駅旅案内全国地図」をはじめ、
ありとあらゆる道路関係のものが、
愚劣ナンバリングで溢れかえるのでしょうか。

本当におっしゃる通り、
ナンバリングの附番方法は、
熟慮の上に熟慮を重ねるべき重大な課題です。
名古屋・阪神高速は、路線番号を付与した結果、
付与前よりも明らかに分かり易くなり、
特に阪神高速は、あの分かり辛かったのが、
ここまで劇的に変わるものか、と、
当時はまだ小学生でしたが、
すごく実感させられた記憶がありますね。

今回のナンバリング資料によると、
阪神高速の路線番号導入は平成元年頃で、
この時に、出入口標識が一新されたため、
比較的早い段階において、
ローマ字なし標識が消滅しました。
また、名古屋高速の路線番号変更は、
平成7年頃だそうです。

>名古屋高速の旧路線番号とは、
>路線名に基づいた番号
確かに地図上では、
そういう風に記述してありました。
ただ現地の標識に反映されていたかまでは、
定かではありません。
一昔前には、当時の開通式の様子を写した
写真がネットで見られたのですけれどね。

(参考)
http://www.higashi-nagasaki.com/d_b/Db01-96_1.html

>阪神高速がアルファベットで分別
http://www.higashi-nagasaki.com/d_b2004/Db01-125_03.html
他の方が書かれた資料ですが、
こんな感じでした。
唯、私が以前ネットで見た資料や幼い記憶とは、
微妙に異なる感じがしなくもないですが。

尚、路線アルファベットを記した標識は、
無かった様に記憶しております。
但し出口番号が「A01」とか、
そんな感じだった記憶がありますね。

(参考)草創期の阪神高速標識
http://www.kowa-sangyo.jp/image/history_slide07.jpg

(参考)阪神高速3号神戸線は、
開通当初「神戸高速道路」と名乗っていた。
https://nkurashige.files.wordpress.com/2015/03/file0001_r1.jpg
但し「阪神高速」と名乗っている場合も。
https://nkurashige.files.wordpress.com/2015/03/img565a_r.jpg

>ラバーポール
多分正式採用になったのは、仰る通り、
山形道の当該区間と思われます。
高速道路の新型もの採用には、どうも
実験的採用と正式採用がある様で、
そこにはタイムラグが生じてしまいます。

現にその間に開通した
北陸道の暫定区間(当時)では、
はじめラバーポールはなく、
後付けで設置されたのを確認しています。
尚個人的に、ラバーポールを最初に見たのは、
中国道の暫定区間(当時)で、
何か木でも埋め込んであるのかと、
感じた思い出があります。
それで、あれは柔らかいものだよと、
後にテレビで紹介・実演があった時には、
ある意味衝撃でしたね。

一応、これが関越道全通時の映像です。
かなりボヤッとしていますが、
関越トンネルが対面通行だった当時、
かなり背丈が小さく頼りない感じですが、
ラバーポールが立っているのが確認出来ます。
https://www.youtube.com/watch?v=fktAj6CU_Uw

Re: いろいろ - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/08/11 (Fri) 09:06:06

返信が遅れて申し訳ありません。コメントありがとうございます。

>事業中路線の完成
近年でも長野オリンピックや愛知万博の際には道路整備が進みましたね。あと国体も契機となっている気がします。

>名古屋高速
当時の開通記念通行券は路線名に基づいた番号で記載されていたようです。(『名古屋高速道路公社二十年史』に写真が載っています)

>阪神高速
出口番号を見ますと確かにアルファベットで分別されていたみたいですね。また調べてみたいと思います。
「神戸高速道路」はすごいですね。通称だったのでしょうか……?貴重な写真をありがとうございます。

>ラバーポール
1988年から導入されたものとはやや異なるものですが、仰る通りそれ以前にもラバーポールらしきものは設置されていますね。(関越道や北陸道の写真で見たことがあります)
当時のものの仕様や本採用になったものとの繋がりもよく分かっていないので気になっているところです。

いろいろ - 匿名

2017/06/09 (Fri) 01:16:16

長くなってきたので新しくスレッドを立てます。

北陸道の件ですが、
その場所に「葉原スイッチ部」という名前が
ついていたとは初めて知りました。
ストリートビューでみますと、
下り線54.6kpあたりの走行車線側に、
恐らく当時のものと思われる、
はみだし禁止表示の痕跡が、
意外にもはっきりと残っています。

上り線側にも、葉原トンネル出口付近に、
壁でおおわれているものの、痕跡がありますし、
またその間には、「今庄36」と記された、
廃道跡ボックスも残されています。

私自身は、同区間の対面通行時代に、
恐らく”通っている”のだろうと思いますが、
当時はまだ産まれたばかりなので、
流石に記憶はありません。

ですが、図書館にて、新聞の縮刷版などで、
開通当時の様子を調べたことがあります。
だいぶ昔のことなので、
記憶があいまいなところもあるのですが、
確か、今庄トンネルは60㎞/h、
対面通行区間は50㎞/h規制で且つはみ出し禁止で
(50㎞/h、40㎞/hだったかもしれない)
標識は固定式、センターポールはなし、
ただし上下線の間はかなり太い幅が設けられ、
斜線が引かれていました。また、
暫定的に上り線または下り線となった箇所には、
トンネル非常駐車帯などは設置されず、
杉津PAも現・上り線のみの供用だった
とのことです。

加えて同区間の開通式は、
12月8日という大変寒い時期であったことと、
トンネル工事を労うという意味で、
今庄トンネル(確か現・上り線)
内で盛大に行われたとのことです。
余談ですが、その12日後に、
笹子トンネルを含む、
中央道の大月-勝沼が供用しているのですよね。

対面通行解除は、昭和55年(1980)のことで、
まず杉津PA現・下り線を含めた
新設部分が完全供用し、
従来部分は暫く1車線規制のままで、
改築工事の後に、規制が解除されたそうですが、
全面供用となったのは、
米原接続より少し遅れてのことだったそうです。

なお当初供用である今庄トンネルの上下線と
敦賀トンネルの現・上り線には、
嘗て天井板があった一方、
後の供用となった敦賀トンネルの現・下り線は、
はじめから天井板なしのジェットファン方式で、
聞くところによると、
敦賀トンネルの現・下り線は、
2000mを超える高速道路トンネルでは、
初のジェットファン適用事例だったそうです。

そもそも何故、この区間は態々、
上下線が入れ替わる特殊構造なのか、
ということですが、
敦賀トンネルを換気し易いよう、
上下線共にトンネル内を下り坂となるようにした
という話を聞いたことがあります。

>鳥取豊岡宮津自動車道(山陰近畿自動車道)は
>どうみても高規格幹線道路になるべき
三陸北縦貫道路・阿南安芸道などもですが、
私も昔から強くそれは感じています。
ナンバリングでは、これら路線は
高規格幹線道路扱いになっているのですが、
それがナンバリングの件では
個人的には唯一、評価出来るところですね。

ただし、明らかに高速道路ではない、
堺泉北道路や一ッ葉有料道路、
大和高田バイパスまで含まれているのは、
いったい何を考えているのか、
言葉はちょっと悪いですが、
”味噌も糞も一緒にするな!”
と物凄い憤りを感じずにはおれません。
(高規格改築を施すなら別ですが。)

おまけに堺泉北道路や阪神高速京都線を、
NEXCO管理に移行し、
都市間高速道路として
一色単にしようとよう企んでいるとかのことで、
従来はその性質の違いから、
厳密に区別されてきた経緯のある
都市高速道路と都市間高速道路すら、
もはや一色単の扱いなのかと、
ここまでくるともはや、怒りを通り越して、
寂しさすら感じますよ・・・。

堺泉北道路は、その性質から、標識を取り換え
阪神高速に改築することは、まあ可能でも、
NEXCO管理の都市間高速道路となれば、
それはどう考えても違和感ありあり、です。

まあこの件もパブリックコメントを
募集していたので、
意見は出したんですけれどね。
結局はこれも出来レースで、
はじめから意見を聞く耳を持つ気など
毛頭なかったようです。
まさしく”物言えば唇寒し”で、
つくづくイヤになっちゃいます。
産まれてこの方40年近く、
興味関心を抱いている高速道路という存在が、
出鱈目な策で致命傷を負わされているようで。

またまた愚痴めいたことで、
大変申し訳ございません。

Re: いろいろ - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/06/12 (Mon) 20:05:49

>北陸道今庄~敦賀
葉原スイッチ部に廃カルバートまであるとは、香ばしい場所ですね……

上下線が入れ替わる理由ですが、「北陸自動車道今庄~米原間の工事概要」によりますと敦賀トンネルの換気の他にも、谷間が狭隘で4車線断面での計画が困難だったという理由があったようです。

>ナンバリング
一ッ葉有料道路や大和高田バイパスは確かにやりすぎと感じています。
堺泉北道路については阪和道と湾岸線を結び、高速道路網に取り込まれているのであまり違和感はありません。湾岸線の南の方も阪神高速でありながら都市間高速道路的な性格がありますし、私としては堺泉北道路は阪神高速よりはNEXCOの方が自然かと思っています。

Re: いろいろ - 匿名

2017/06/17 (Sat) 11:37:39

>中間インターで端点だった時代が
>一番長かったのはどこ

高速自動車国道(AまたはA'路線)では、
東名阪道の亀山ICになるのでしょうかね・・・。
1975.4.17開通、2005.3.13延伸で、
ほぼ30年です。

継続中も含めますとやはり、
東関東道の潮来ICでしょうか。
開通が1987.11.20からですから、
確実に亀山ICを超えますね。

B路線まで含めても、
亀山ICを超える箇所は見つかりませんでした。
ただ北近畿豊岡道(遠坂トンネル)の遠坂ランプが、
1977.5.25開通、2006.7.22延伸で、
亀山ICに次ぐ長さとなります。

※尚、遠坂トンネルの和田山側は、
和田山延伸(同じく2006.7.22)時に、
料金所近くにあった出入路を閉鎖して、
その機能を山東ICに統合、
という形をとっています。

継続中を含めますと、
中部縦貫道の油坂峠出入口があります。
開通は潮来ICより2日早い1987.11.18で、
果たして潮来ICとどちらが
記録となるのでしょうかね。

まあ、そんなつまらん競争しないで、
とちらもさっさと開通させよ!
と言いたいですが・・・。

それに次ぐのが、圏央道の一部扱いとなる
新湘南バイパスの藤沢IC(1988.3.30開通)です。

地域高規格道路(高規格構造)まで
含めていきますと、
確かに山口宇部道路の嘉川ICと
なるのでしょうかね。
ただこちらは供用当初は一般道規格だったため、
高規格道路としては、
2001.3.10開通、2011.7.31延伸、
と定義すべきかもしれません。

あと箱根口ICの事例もあります。
1970.11.15開通、2005.3.28小田原箱根道路接続
ですが、小田原箱根道路はどう見ても
完全な一般道ですから、極めて微妙です。
ただ、小田原箱根道路の区間は、
元々西湘バイパスとして計画されていたらしく、
それが何らかの理由で中止になって、
結局一般道としての事業となったそうです。

またこちらは継続中を含めますと、
トンデモナイ物件にぶつかります。
それは西湘バイパスの大磯東ICで、
1966.4.1開通で、以降現在に至るまで、
新湘南バイパスとの接続が実現しておりません。
これが接続すると確実に50年超です。

【追記】
成程、短さでは、
山陽道・瀬戸中央道の早島ICが
そうだったのですか。
1988.3.1開通、1988.4.10延伸なら、
それは確かに最も短いですね。
紀勢道・南紀白浜ICなどにも言えることですが、
そんな短期間での延伸なら、
何故まとめて一括開業しなかったのかと、
大変疑問に思わざるを得ません。
開通式をするのは、すごくコストがかかるのに。

あと河口湖ICは、
東富士五湖道路方面の延伸を勘案すると、
1986.8.28で記録は途切れますし、
(河口湖IC-富士吉田TBは中央道)
青森ICに関しても、現地標識状況を勘案すると、
そのまま青森道に接続しているとも見れる故、
青森道が開通した2003.9.28で記録が途絶えたと、
捉えたほうが良い気がします。

Re: いろいろ - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/06/17 (Sat) 21:27:48

いろいろとありがとうございます。

亀山ICに関してですが、名阪国道に直通していたことから端点とは見做せないのではないかと考えています。有料無料の違いはあるにせよ当時は名阪間を結ぶ一体の道路と見なされていたのではないでしょうか。

とりあえず高速自動車国道(自専道と直通する箇所も含む)に関して調べてみたところ、最長は長崎多良見ICの7801日、最短は早島ICの40日になりました。

未延伸のICでは、潮来ICは既に一万日を超えてますね。
あと注目なのが沖縄道許田ICでしょうか。もし名護東道路に直通するということになれば、40年を超える大記録になります。もっとも、信号解消で済まされそうな気もしてますが。
練馬ICも首都高接続が実現すれば大記録になりますが、さすがに期待できなさそうです。

高速自動車国道以外も含めると、開通当初は自専道でない例もあったりして厄介ですが集計してみようとは思っています。

大磯東IC、気づかなかったです。確かに長いですね。ここは国道がよく混むので早く整備してほしいと思っています。
小田原箱根道路は自専道ではないですが、第1種規格で整備して自専道に指定すれば良かったのにと思っています。
逆に、箱根新道が自専道に指定されているのは今となっては違和感だらけですね。

Re: いろいろ - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/06/17 (Sat) 21:38:41

追記に対する返信です。

河口湖ICは仰る通りで完全にこちらのミスです。ご指摘ありがとうございます。

青森道は仰る通り事実上東北道の延長なのですが、あくまでも青森ICと青森JCTは別の施設ということになっており、両施設間に2.1kmの延長があることから延伸とはみなしていません。
記録には載っていませんが木更津南ICも同様に扱っています。

Re: いろいろ - 匿名

2017/06/17 (Sat) 21:57:47

確かに亀山ICの場合は、
開通当初想定していなかった形での改築で、
真の意味でこのケースに当てはまるか
どうか判断が難しいところですが、
亀山直結線も「東名阪道」であること、
加えてキロポストも連続するということで、
一応挙げてみました。

>沖縄道許田IC
名護東道路と繋げるならば、
それははっきりいって直通以外有り得ません。
信号機撤去とかでお茶を濁さないでほしいと、
強く感じます。
あと欲を言えば、名護東道路を更に、
美ら海水族館のある本部町まで延伸する、
ということも真剣に検討すべきかと思います。

>練馬ICも首都高接続が実現すれば大記録
同様のことが、
第三京浜・玉川ICにも言えそうですが、
流石にそれは夢物語で終わりそうです。
玉川といえば、新東名の真の起点として、
想定されている場所ですが、
それも本当に出来るかどうかは、
極めて怪しいですね。
新東名が海老名起点では、
圏央道・首都高湾岸線ルートが成立しようが、
新東名としての意義は
あまりにも中途半端になってしまう故、
せめて世田谷ー玉川、戸塚ー海老名南を新築、
残る玉川ー戸塚に関しては、
第三京浜や横浜新道を長期間閉鎖の上、
高速道路と一般道との2層構造に造り直すことで、
何とか新東名を完成させられないものかと、
個人的には思っているのですが・・・。

そうなれば、玉川や戸塚で、この手の
トンデモナイ記録が誕生しそうです。

>開通前の仮称は登別IC、室蘭東IC、室蘭西IC
そうだったのですか。
登別室蘭ICの所在地は完全に登別市域ですので、
幾ら何でも、正式名称を室蘭東とするわけには
いかないでしょう。
けれども室蘭市の最寄の一つであることも事実、
それで登別室蘭ICということにしたのでしょう。
ここは末端がすごく長かった記憶がありますが、
実際は1986.10.9開通、1991.10.25延伸ですから、
概ね5年ほどだったのですね。
(まあ元号は、昭和・平成で跨いでいますが)

登別東ICは、如何にも当時らしい命名で、
この頃の命名傾向だと多分、
登別温泉ICとなるのでは、と思います。
なお、温泉を冠するIC名称の初適用事例と
なったのは、日本海東北道のあつみ温泉ICです。
【訂正】
同じく、日本海東北道の村上瀬波温泉ICが、
約1年早く適用されていました。

また室蘭ICが正式名称の時点で西が取れたのは、
室蘭市唯一のICであることと、
白鳥大橋の存在だと思いますね。

道央道の道南線は一刻も早い全通及び
全線4車線化して貰いたいところですが、
せめて登別室蘭IC-虻田洞爺湖ICは、
直ちに4車線化すべき段階だと強く思います。
本輪西PAも、下り札幌方面側の敷地が
確保されているのも関わらず・・・。
そんなんだから”展望所”なんて言う
あいまいな名称が続くのです。

Re: いろいろ - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/06/18 (Sun) 18:01:57

>亀山IC
これは解釈によって揺れるのではないでしょうか。
私は終点であったということに重点をおいているので亀山ICは排除しましたが、延伸したということに重点をおくと亀山ICも入ってきますね。

>許田IC
私も中途半端な整備は好ましくないと思っています。やはり直通が望ましいですね。鳥取道志戸坂トンネルよりはマシですが……
本部延伸は面白そうですが、既に国道449号が4車線で整備されているので現実的には厳しいと思います。

>玉川IC
やはり海老名から圏央道経由で横浜・東京方面は迂遠すぎて使い物にならないと思います。とはいえ圏央道沿線や湘南方面にもかなりの人口があるので、圏央道までの整備でも一定の成果は出ると思います。欲を言えば外環まで欲しいですが、費用が掛かりすぎるのが問題ですね。

>登別室蘭IC
確かに完全に登別市内にありますし、登別市が反発したであろうことは想像に難くないですね。
個人的にはIC名に関して自治体の境界にこだわるのは良くないと思っていますが、ここに関しては登別市中心部にも近い(とはいっても登別温泉からは離れていますが)ので納得はできます。登別東ICは登別温泉ICの方が良いですね。

道央道4車線化は交通量を考えるとかなり厳しいですが、並行する一般道が少ない地域ですし冗長性と安全性を確保するためには拡幅してほしいと思っています。まあそもそも暫定2車線が本則から外れたものなので、あまり安易に暫定整備にしてほしくはないのですが。

Re: いろいろ - 匿名

2017/06/22 (Thu) 03:45:17

>越美通洞の開通は1986年ですが
>油坂出入口の開通は1999年
1999年に、白鳥方面延伸のための料金所と
中部縦貫道の緑色案内標識が設置されたので、
開通は1999年となっているのですが、
接続地点自体は、
越美通洞のみの時代から同じです。

越美通洞のみの時代は、
「中部縦貫道」とは案内されず、
「この先 自動車専用道路有り」
の標識が立っているのみでした。
現在も旧道にその標識が残っており、
ストリートビューで確認出来ます。

越美通洞が出来た頃、私はまだ小学生で、
ローカルニュースで騒いでいたことが、
記憶に鮮明に残っています。
当時は福井県側から越美通洞を通ると、
程なく現道に戻り、そしてループ橋で、
白鳥市内へと降りていくルートでした。

ループ橋は1989年に出来たものでして、
これはきっと将来、越美通洞と共に、
中部縦貫道に転用されるものなのだろうな、
と思っていたところ、全く別ルートでしたので、
あれっ、こんな立派なループ橋なのに、
メインルートとしては、ほんの暫くの間しか
日の目を見ないのか・・・。
だったら態々、このループ橋を建設する必要は
無く、旧道のままでよかったのでは?
と痛感したものです。

それはさておき、ストリートビューで見ますと
油坂峠道路の荒廃ぶりは、
あんまりの状態で、物寂しさすら感じます。
舗装はガタガタ、センターラインは剥げ落ち、
対面通行用のポールもまともに立っていない、
気候が大変厳しい場所のゆえに、
傷みやすいのは事実なのでしょうけれど、
それにしても酷過ぎます。
無料化してから、コスト削減の結果なのか、
維持管理にほとんど手が加えられていない、
そんな有様が見え見えです。
恐らく日本で一番悲惨な高規格道路でしょうね。

Re: いろいろ - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/06/23 (Fri) 13:53:29

油坂峠道路は去年通ったのですが、確かに荒れ果ててましたね……

油坂出入口の開通時期については1999年に油坂側0.1kmが開通したことになっているようなので接続地点が変わったと思ったのですが、料金所整備の関係でそう扱っているだけなんでしょうか。

あと越美通洞って開通当初から自動車専用道路だったのでしょうか。50km/h制限になっているあたり怪しいと思っていたのですが。


Re: いろいろ - 匿名

2017/06/23 (Fri) 14:24:36

>越美通洞って開通当初から自動車専用道路
>だったのでしょうか。

「自動車専用道路」と案内されておりましたが、
その通りです。「越美通洞」の標識に関しても、
現在のものは、1999年に更新されたものですが、
開通当初から高速道路仕様です。

但し制限速度は、40㎞/hでしたし、
現状もそうですが、越美通洞のトンネル自体も、
明らかに高速道路っぽくない感じ※でした。
当時はまだ、中部縦貫道の計画自体が
広く知られていた時代ではなく、
何故このトンネルが自動車専用道路なのか、
摩訶不思議に感じた方も多かったでしょうね。

※なんとなく、同じ158号線の
平湯トンネルとよく似た雰囲気でした。

>道路交通センサス
ウィキペティアを御覧戴いたのでしょうか。
2005、2010年のデータに、
今回発表された2015年のデータを並べますと、
何か色々考えさせられますね。

Re: いろいろ - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/06/27 (Tue) 13:26:40

道路交通センサスはこちらのホームページで閲覧したものです。(2010年データも載っています)
高速道路の延伸は喜ばしいですが、料金制度の拙さが見えてしまっていますね。

http://www.mlit.go.jp/road/census/h27/index.html

Re: いろいろ - 匿名

2017/06/29 (Thu) 16:35:42

>高速道路は近い方が上だが、
>一般道は遠い方が上
そう言われてみれば、そうですね。
一般道が何故、高速道路と異なり、
遠い方が上になっているかということですが、
それは標識に上向きの矢印が
添えられているからだそうです。

では高速道路の場合、なぜ逆なのか。
これはたぶん想像ですが、
高速道路では、次のICや次の次のICと
いった情報が重んじられるからでしょうか。
高速道路草創期(名神)においては、
この3段(場合によっては異なる)標識はなく、
「次の出口〇㎞」という標識をたてることに
なっていたそうです。

※ただ当時、実際にこの手の標識があったのか、
その信憑性は、きわめて怪しい。
実際にあったのは、現在のものからIC番号と、
次の次のICの標識を除いたものだった?
そもそも「次の出口」となっているのは、
そこに具体的なIC名が入ることを想定していた?

その名残もあるのでしょうかね・・・。

>高速道路の建設記録を読んだとき
>平地:こいついつも軟弱地盤に遭遇してんな
>山地:こいついつも地滑り地形に遭遇してんな
これに加え、用地買収が思い通りに進まない、
またトンネルの場合、
軟弱or硬い岩盤で計画通り掘削が進まない、
というのもありますが、
こんなのが、特にここ数年においては頻発で、
決まって、開通延期のお知らせです。
もはや当該年度開通予定といっても、
どうせ実際の開通は翌年度以降だろ、
と考えておいたほうが無難だという有様です。
一部では、開通予定年度が消えちゃった、
なんてケースもありますし・・・。
(逆に、開通前倒しなど皆無に等しい。)

そんなに予期しない建設トラブルって、
年に何度も何度も発生するものでしょうかね。
私にはもはや、本当の原因を覆い隠すための、
都合のいい言い訳にしか聞こえません。

Re: いろいろ - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/07/02 (Sun) 13:54:46

>高速道路の確認標識

名神高速道路開通当時の確認標識は現在のような3段でも「次の出口」でもなく2段の標識でした。

『名神高速道路建設誌 各論』p.526に

ア 確認標識
3地名とそこまでの距離を提示するもの。
上段 次の出口から到達しうる主要地名
中段 その次の出口から到達しうる主要地名
下段 その路線の終点付近の大都市名
地名は、市名を原則とし、距離は、当該都市の中心的地点までを取ることとした。実際には建設省の意向で、中段を省き、2地名となった。

とあります。2段であることだけでなくインターチェンジ名ではなくあくまで地名とされているところも現在と違いますね。

なぜ上を近くしたのかは明記されていなかったのですが、欧米諸国の例、特に米国カリフォルニア州道路部が実施した調査報告書「Driver Needs in Freeway Signing」を参考にしたようなのでその影響かもしれません。

>開通延期
高速道路建設で一番重要なのは地元の合意と用地買収かと思っています。用地までクリアすればあとはたとえ難工事であったとしても、時間の問題ですからね。

最近の高速道路は確かに開通延期が多いですね。
とはいえ新東名など注目の路線は早期開通する例もありますし、建設能力の配分の問題な気もしています。新名神のように焦って事故を起こすのも困りますが。

Re: いろいろ - 匿名

2017/07/07 (Fri) 14:57:25

>まさかの"MOTORWAY"

紹介されている当時の中国道の写真も
そうなっている様ですね。

当時は、中央道(当時は中央高速)の暫定区間に
おける事故が頻発していた時代であり、
故に東名・名神、後の新東名・新名神を除き、
「高速」の名称は使わず
「自動車道」と名乗るようにする、
そういう方針が決められていった時代ですから。
そう考えますと、もしかすると当時は、
日本語で高速と自動車道と区別するのと一緒に、
英語表記では、
高速道路=EXPRESSWAY
自動車道=MOTORWAY
とする方針を立てていたのかもしれません。
ただこの両者の区別は、
米国英語と英国英語の違いですので、
そんなことは国際的には通じず、
結局米国式ってことになったのでしょうか。

>開通当初の沖縄道が右側通行だったことは有名

そうだったらしいですね。
個人的には、現・許田料金所付近で行われた
開通式の写真は見たことがあり、
その写真で速度規制標識が右側にあったことで、
右側通行時代という悲しい歴史があったことを、
改めて思い知らされたものですが、
ではどういう案内標識になっていたのか、
それは今回初めて見させて戴きました。
3段案内標識に関しては、右側にあるだけで、
仕様的には、特殊なものでは無かった様ですね。

伊芸SAに関しては、なるほど、
矢印とSA名の表記場所が
通常と逆になっていたわけですか・・・。

すると出口案内標識は、
一体どうなっていたのでしょうか。
これは見たことが無いので、
そこはすごく気になるところです。

なお沖縄の場合、
米国関係者が多く住んでいるからか、
全国的にローマ字入り標識となった
遥か前(少なくとも730の)段階において、
現在と仕様は異なるものの、
ローマ字入り標識になっていた様です。
そう考えますと、沖縄道では、
もしかすると当時から出口標識等にも、
ローマ字が入っていたのかな・・・。
併せてそれも気になるところです。

※現在の英語表記のみの、
沖縄特有の特殊出口標識は、
九州沖縄サミット時に設置されたものです。

Re: いろいろ - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/07/07 (Fri) 16:32:38

>"MOTORWAY"
ご意見ありがとうございます。
確かに中国道も"MOTORWAY"表記であること、そして中国道と近畿道は最初の「自動車道」でもありますし、「高速道路」と「自動車道」で英語併記を分けたという説は説得力があると思います。
現在の様子を見ますと結局"MOTORWAY"が駆逐されたということは分かりますが、そうなった経緯も気になるところではあります。

>沖縄道右側通行時代
沖縄が右側通行であったのは沖縄戦を経て米国による沖縄占領によってのものですから確かに悲しい歴史ですね……
出口標識についてはまだ写真を見つけていないので不明ですが、私も気になっているところです。ローマ字併記の導入状況についても気になりますね。

Re: いろいろ - 匿名

2017/07/14 (Fri) 18:10:42

>開通当初の中津川ICの番号が
>「22」であったことを示す写真

この写真が掲載された約3か月後に、
恵那山トンネルを含む区間が延伸しており、
同区間の延伸以降は、奥に映っている跨道橋に、
恵那山トンネル危険物積載車両通行禁止の標識が
設置されているものと思われる故、
それがないという点でも、
ある意味とても貴重な写真ですね。

IC番号については、
嘗て、恵那山トンネル開通当時の新聞記事を、
縮刷版などで探したことがありまして(※1)、
その際に、飯田ICが「21」となっていた
3段標識の写真を見た記憶などがあります。

(※1)この辺りの建設時・開通時の様子は、
嘗ては中津川市のHPにアーカイブスがあり、
そこでも見ることがで出来たものの、
現在は削除されている。

恵那山トンネル内での開通式の様子や、
対面通行当時のトンネル坑口付近の様子は、
新聞記事やネットで見つかったのですが、
対面通行時代の具体的なトンネル内の様子は、
不謹慎にも、あの笹子事故の際のNHKのVTRで、
(物心がついてからは)はじめて知りました。

なおトンネル内の非常口案内に、
所謂ピクトくんが採用されたのは、恐らく、
恵那山・網掛トンネルのⅡ期線(※2)からで、
今ではすっかりそれが当たり前の光景ですが、
実は高速道路のトンネルにおいては、
ピクトくんの登場は3年ほど遅れたのです。

(※2)Ⅱ期線供用に伴うⅠ期線改築工事の際に、
Ⅰ期線も更新されている。また現在は再更新済。

Re: いろいろ - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/07/16 (Sun) 11:47:01

コメントありがとうございます。

現在は奥の跨道橋に危険物積載車両通行禁止の標識がありますね。そういえば、恵那山トンネルを控えていながら中津川ICが端点だった時期は意外と短いですよね。
あと、飯田ICが「21」となっている写真もあるんですね。今度私も探してみようと思います。

あのピクトくんの採用って意外と遅いんですね。あの時期はサービス向上の一環で標識を改定する動きがありましたが(ローマ字併記の追加やキロポストの様式変更など)、ひょっとして関係あるんでしょうか。

苦言 - とおりすがり

2017/07/06 (Thu) 15:51:30

>そこで各位に要望があるのですが、情報をあげるときはなるべく典拠も載せてほしいです。出処不明の情報は検証できないですし、情報源となりうる資料は多くの人が知るべきでしょう。まぁ偉そうに言っておきながら私が載せるようになったのも去年辺りからなんですが

 これまで得たいの知れない情報をさんざん流した挙げ句、人の間違いは鋭く批判し、自分のこれまでの誤りは全くわびようとしない人間がこのような発言をすること異常だよ。去年辺りじゃないはず?
 いわき市のカントリーサインの件を見ても、TTさんにしてみれば推測や憶測の発言は、たとえ推測と断っていても禁止なんでしょ?あなたのように発言力のある人がいまだに誤りある憶測を垂れ流しているのもいただけない
 情報は費用をかけて集める物で有料なのです。情報源は明記すべきだが、世の中の情報が全て情報源を明記していると思ったら大間違い。クレクレ君はいけません。情報源となりうる資料は多くの人が知るべきだし、情報源は明記すべきだが、その価値観を他人に無理矢理押し付けてその通りにしない人を好き勝手に批判するのはどうかと思う。
 TTさんのように優秀で若い未成年が他人に厳しく自分に甘い対応を続けるのは忍びない。

Re: 苦言 - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/07/06 (Thu) 20:25:02

>得たいの知れない情報をさんざん流した
>これまでの誤りは全くわびようとしない
事実無根の誹謗をなされては困ります。「得たいの知れない情報」とは何のことでしょうか。

>去年辺りじゃないはず?
少なくとも2015年には出典を明記したツイートを行っております。尤も、気を付けるようにしたのは最近のことですが。

>カントリーサインの件
当件については私の発言が厳しいものであったことも確かに事実であり、その点については反省しております。しかしながらこの件におきましても、私は個人のツイートは自由であると述べております。もちろん、私に他人の発言を制限する権利などあろうはずがありませんから。
私は全知ではないので推測を含む発言をすることもあります。「誤りある憶測」とありますが、誤りであると示すことができるのであれば、躊躇なく指摘いただきたいと思います。誤りが垂れ流されることは当然望ましいことではないはずですし、無論これまでにも、指摘いただいた際には訂正を出しております。貴方は私のツイートをご覧になっているようですので、ご存知であると思います。

>情報は費用をかけて集める物
私も情報を集めている身ですので、もちろん存じております。しかし、情報収集に費用がかかるからこそ協力が肝要だと思うのです。一人一人が孤立して、苦労して情報を集めても重複が生じ、無駄に多くの費用を費やすことになります。多くの人が情報を共有して協力したほうが良いとは思われませんか。
私が出典を求めるのは協力のためであって、決してクレクレ君になろうとしているわけではありません。私自身も積極的に情報を伝えようとしております。私のツイートをご覧になっているのにもかかわらずお分かりにならないとは残念です。さらに情報を集められるよう精進したいと思います。
「価値観を他人に無理矢理押し付けて」とありますが、私はただ要望したのみであり、押し付けたつもりはありません。先ほども述べました通り、私に他人のツイートを制限する権利などありませんから。

>TTさんのように優秀で若い未成年
お褒めの言葉ありがとうございます。ですが、私は現在未成年ではありません。さすがにこれに出典は不要ですよね。

いろいろ - 匿名

2017/05/22 (Mon) 18:56:57

>十勝オホーツク道を名乗る資格はない
まずは、一旦施工命令が出ながら、未だ凍結状態である、足寄~陸別の事情再開が喫緊の課題ですね。それに加え、北海道としては、北見東~美幌高野の早期事業化を強く要請している動きは一応あるようです。ただ、こういったことは、田中角栄のようなダイナミックな考えを持つ首相が出現しない限り、非常に厳しいのでしょう。

>沖縄道那覇ICは・・・那覇の中心部までは結構時間がかかる。
那覇IC流出後、すぐに右折し、金城ダムや石畳道のところを通り、松川交差点から安里に向かえば、案外国際通りは近いのですが、ナビではこの道はあまり案内されません。

>道央道北側のIC番号は50番台
確かにそうであったみたいですね。
今は交換されていますが、嘗ては番号部分を直したんだなという形跡がありました。まあ道央道は、札幌JCTを境に別路線の印象ですけれどね。

>中央道原PAは、開通当初は原PAだった可能性
他に原と名乗るPAはないのに、なぜ態々中央道とついているのだろうと思って調べたら、同PAにバスストップが併結されていることが、そうなった経緯のようです。
今はもう廃止されているのですが、当時は東名に原バスストップというのがあったらしく、それと区別する意味で中央道とつけたようです。なお東名のほうは、中央道原と対をなすように、通称「東名原」と言われていたようです。

Re: いろいろ - 匿名

2017/05/22 (Mon) 19:16:09

>宮崎道えびのJCT〜高原ICは"九州自動車道"扱い
ぞういえば、嘗て道路施設協会時代の霧島SAスタンプの路線名は、MIYAZAKI ではなく、KYUSHUと書いてあったものでして、あれっと思った記憶があります。単なる誤植かなと解釈していたのですが、こういう資料を見ますと、供用当初はもしかすると九州道だったのかもしれません。
長野道の岡谷JCT-岡谷ICも、松本方面に延伸するまで中央道と名乗っていたとされていますし。

>宝塚IC〜西宮北ICが未開通で、途中に仮出入口が設けられていた
所謂「青葉台」問題で当該区間開通のめどが立たず、仮出入口が設けられていたことは知っていましたが、仮出入口に生瀬・尼子という名称があったことは、初めて知りました。現地の通行台数からしても、今の時代なら到底考えられない、ありえない措置であります。

>部分開通時代の竜野西SAはトイレだけ
その凡そ3か月後の山陽姫路東IC延伸の時点で、竜野西SAは完全供用されています。なお吉備SAも、供用当初はトイレのみで、備前ICー岡山ICがつながった折に、完全供用となりました。

Re: いろいろ - 匿名

2017/05/22 (Mon) 20:20:34

>1994年の吹田JCT改良に関する
ここは完成形までに何段階かありましたね。
茨城の本線料金所機能は、既に1994年3月の時点で吹田にi移転していた記憶があります。

>砺波JCT→小矢部JCT→小矢部砺波JCT
ガイドでは確かにそうなっていた記憶がありますね。
正式名称が小矢部砺波になった経緯は、小矢部市と砺波市がお互い譲らなかったための、折衷の結果と言われています。
また、ここは地下ボックスを入れるのに、長きにわたって北陸道を一車線規制するなど、相当大規模な工事だったことが思い出されます。しかしまあ東海北陸道は、初開通から全線開通まで随分と時間がかかったものです。

Re: いろいろ - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/05/26 (Fri) 10:37:23

いろいろな情報をありがとうございます。

>十勝オホーツク道
ネットワーク的には必要な道だと思いますが、沿線人口等を考えると難しいのでしょうね……

>那覇IC
那覇ICは他の都市と比べると決して市街中心部から遠いわけではないと思うのですが、かつて那覇と首里が別の都市であったということを思うと遠く感じちゃいますね。

>道央道北側のIC番号
実は、50番台であったことは『日本道路公団三十年史』に載っている写真でも不鮮明ながら確認できます。「道央道」で通さずに札幌で道路名を分けちゃうのが一番良いとは思うのですが。

>中央道原PA
バスストップのせいだったとは、なるほどなぁという感じです。改めて調べてみたいところです。

>宮崎道
『高速道路と自動車』の開通記事に「宮崎自動車道」と書かれていることから、九州自動車道であった可能性は低いと見ています。しかしスタンプにも「九州道」と書かれていたのが事実であればこれはなかなか深い問題になりそうですね……

>青葉台問題
やはり仮出入口での対応は当時だったからこそできたことでしょうね。当該区間の容量が逼迫して新名神の開通が待たれる現在となっては想像できないですね。

>竜野西SA
1980~90年代のエリアガイドを見ると、暫定供用だったサービスエリアはそこそこあった印象を受けますね。採算の問題もあるので最初から施設を充実させるのは難しいのでしょうね。

>吹田JCT
大きな改良工事ですから段階を踏んでいる可能性は十分にありますね。機会を見つけてまた調べてみようと思っています。

>小矢部砺波JCT
今では折衷案的に二つの自治体名を入れるのはよくあることですが、エリアガイドにおける名称がころころ変わるのは面白いと感じました。
東海北陸道は、名神接続部分がやけに遅れた印象がありますね。

Re: いろいろ - 匿名

2017/05/30 (Tue) 01:32:20

>元々は新潟バイパス経由で磐越道と接続する予定
亀山直結線開通前は、
東名阪道と伊勢道の相互行き来に
名阪国道を経由する必要があったために、
それぞれで料金を精算するという
事例があったので何とも言えませんが、
それは個人的には俄かに信じがたい話です。

当時はまだ、磐越道は予定路線だったので、
北陸道と磐越道がどういう形で接続をするか、
具体的なことまでは考慮していなかったのでは
ないでしょうか。

磐越道がいざ具体的になったころには、
日本海東北道の構想も明るみになっていたので、
現状のような形に落ち着いたものと思われます。

長岡JCT以北の北陸道に関しては、
形状からも、
嘗ては関越道の番号が振られていたことからも、
関越道と名乗ったほうが自然だっただろうに、
なぜ北陸道と名乗る上に、
現地案内では「高速道路」表記など、
それを避けるような案内になっているのか、
また何故、当時の時点で新潟市中心部付近まで
高速道路を引っ張ることを考えなかったのか、
田中角栄が健在の時代だっただけに、
摩訶不思議な話であります。

Re: いろいろ - 匿名

2017/05/30 (Tue) 15:44:41

>京葉道路1期
恐らく、その平面交差のいうのは、
開通当初は有料区間とされながら、
現在は一般道となっている、
一の江橋⇔柴又街道交点、船橋IC⇔国道14号交点
を指しているのでは、思います。

>小田原厚木道路
開通当初、平面交差となっていた箇所は、
一般道がアンダーパスする形で、
それが解消されたということが、
航空写真等で分かりますね。

>長崎バイパス
確か、4車線化される前は、
見た目は単なる有料の一般道に過ぎず、
4車線化されたのを機に高規格構造となった、
私の記憶では、そうだった気がします。

Re: いろいろ - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/06/02 (Fri) 11:48:01

>北陸道と磐越道の接続
『日本道路公団二十年史』p.248に、
「北陸自動車道と東北横断自動車道いわき・新潟線との連結も、国道の新潟バイパスを介して接続するよう計画されている」
と記されています。
直接繋がずにわざわざ新潟バイパス経由としたのは、当時の料金システムが膨大な路線網を処理できず、料金圏を分割する必要があったためです。開通当初の吹田JCTが直接つながっていなかったのも、これが一因となっています。
(結局料金システムは改良され、現在北陸道と磐越道は直接接続しています)

>京葉道路1期
京葉道路開通当初は一之江橋~船橋の全線に、合計37箇所の平面交差がありました。篠崎IC~船橋ICが立体化されたのは1971年のことで、二期区間と首都高の開通で取り残された両端の区間だけがそのまま残り現在に至っています。

>小田原厚木道路
本線が地平面を通っているのがまさに平面交差だった名残ですね。(これは京葉道路一期区間も同じです)

>長崎バイパス
4車線化される前・開通当初から全線立体交差の自動車専用道路だったようですが、開通当時は高速道路網に組み込まれることは考えていなかったみたいですね。

Re: いろいろ - 匿名

2017/06/03 (Sat) 12:50:16

20年史は昭和51年発行なので、
当時の通行券といえば、
かなり大きいサイズのパンチカードでしたし、
確かに膨大な路線網を処理するのは、
極めて困難だったと思われます。
ならば本線料金所を設置して、一度清算の上で、
再び通行券を発行するなんてことは、
考えなかったのでしょうかね・・・。

個人的には、
パンチカードの時代はちょっと記憶にあって、
昭和末期のころは東名や名神などが、
パンチカードのままだったために、
今は無き、米原や山崎の本線料金所で、
パンチカードと磁気カードを交換していた、
そんな記憶がありますね。

>伊北IC仮出口
ここは当時の航空写真が残っていないため、
結局どういう形になっていたのか、
よく分からないといったところですが、
どうも現在の辰野PAのところではなく、
もう少し先のところだった感じですね。

最近、個人的に怪しいなぁと思っているのは、
191.3KPあたりで上り線脇に見えてくる側道で、
どうもこれじゃないかなという気がしています。

>宝塚IC〜西宮北IC間の2箇所の仮出入口
これは航空写真に当時の様子が残っていますね。
仮出入口からそれぞれのICまでは、
対面通行規制だった様子が見て取れます。

Re: いろいろ - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/06/04 (Sun) 20:44:47

>通行券
本線料金所の設置も考えられていたようで、1971年に米原、泉など4箇所の設置が決定されました。実際に設置されたのは十年ほど後になってからでしたが。
パンチカードから磁気カードへの変更は段階的に行われましたね。例えば山崎以西は1984年で以東は1988年に変更されています。

>伊北IC仮出口
伊北IC仮出口~伊北ICの延長は5.6kmだったそうなので、190.4kp辺りになるみたいですね。

>宝塚IC〜西宮北IC間の2箇所の仮出入口
1975年3月の航空写真ですね。ここは現地にも行ったことがあるのですが、構造物の痕跡は発見できませんでした。

Re: いろいろ - 匿名

2017/06/06 (Tue) 00:43:40

伊北IC仮出口に関しては、
伊北ICから5.6㎞の場所に位置していたと
されているのに加え、
改めて、地図・空中写真閲覧サービス内の
当時の国土地理院の地図と照らし合わせても、
私の推定した場所とは、明らかに先の場所に
位置していたように見えるため、
仰る通り、190.4kp辺りにあったのでしょうか。

という訳で、Googleマップで、
その190.4kp辺りを改めて確認してみたところ、
実はそれらしい遺構が残っている様なのです。
上り線の横、樹木が生い茂っている所ですが、
目を凝らしていくと、
そこには2車線ぐらいの道路があったような、
そんな遺構が見えてくるのです。
もしかするとこれがその名残なのでしょうか。

あとやはり入口もあったのでしょうか。
当時のガイドにはそう書いてあるみたいですね。

そもそもなぜ当該区間(小淵沢~伊北)は、
建設遅れの要因になりうる、長大トンネルなどの
難工事構造物など特段ないにも関わらず、
何故仮出口を設置しなければならないくらいに、
建設が遅れたかということですが、
その要因の一つとして、
高速道路ルート上に神社が存在し、
その神社移転を巡って揉めたような話を聞いた
様な気がして、改めて調べてみたところ、
諏訪大社に深く関わるとされる
「宮川御頭御社宮司社」が、
確かに中央道建設により移転している様ですね。
あと、当該箇所には多数の歴史的遺跡があり、
かなり大がかりな発掘調査が必要だった、
ということもあったようです。

なお当時は、
案外仮設のものは珍しくもなかったようです。
浦和ICが末端のころ、
東京方面へ向かう車の混雑緩和のため、
現・浦和本線料金所を利用する形で、
国道122号線へ直接繋ぐ仮設ランプが
あったことは、まあご存知のことと思いますが、
岩槻ICが末端だった頃も、
同様の措置が取られていた様です。
(航空写真で確認)
現存するかどうかは知りませんが、
上り線岩槻IC手前1.5kmに、
いまいち意味不明の分岐看板があるのは、
その名残とされます。

また出入口ではないですが、
北陸道の敦賀IC-今庄IC開通当初は、
敦賀IC-葉原TN南口付近が現・上り線、
葉原TN南口付近-敦賀TN北口付近が現・下り線、
を使っての対面通行だったため、
全面供用となるまでの2年半ぐらいの間、
これらを暫定的に結ぶ連絡路が
設置されていたとされています。
Googleマップを見ますと、
その痕跡は僅かながらに残っているのですが、
連絡路自体は殆ど原型をとどめていません。

>東京川越道路
当該区間は有料道路表示が残っている(いた?)
のがその名残ではありますが、
6車線化が行われた際に、
元・東京川越道路区間は、現・第一走行車線が、
それ以外の区間は、現・追越車線が、
それぞれ追加施工されたという経緯があります。

Re: いろいろ - 匿名

2017/06/08 (Thu) 18:04:27

>4方向JCTの番号は両方の系統で・・・
まとまった系統があってこそのIC番号

個人的な意見としては、
もっと抜本的な改定が必要と思っています。

現状の連番制のままだと、どうしても、
枝番や欠番が生じて大変分かりにくいので、
この際アメリカのように、IC/JCT番号を
キロポストを基軸とした三桁番号とし、
(一桁・二桁の場合、ない桁を0で補う)
そしてJCTには、
接続するすべての路線の番号を記載すべき。
更に路線別ナンバリングと組み合わせて、
IC/JCT毎の個別コード番号にすれば、
カーナビへの応用など、すごく利便性が増す。

パブリックコメントで、こう力説したのですが、
まったく聞き入れてもらえませんでした。
というより、パブリックコメントなんぞ、
所詮ガス抜きに過ぎなかったのでしょう。

ナンバリング自体についても、
ナンバリングの必要性は認めつつも、
あのEなんとかの案には断固反対、
という意見が大多数だったにもかかわらず、
結局それがごり押しされてしまいました。

(※)
一般的には、国交省旧案を推す意見が、
非常に多かったようです。
私の意見は、それとは異なるものでしたが、
内心は旧案に落ち着くならば、
それでよしと思っていました。

高速道路の歴史は、一般国道の歴史とは、
全く異なる経緯を辿りますし、
そもそも高速道路は、主要一般国道を意識して
建設が進められたわけではないので、
あのEなんとかのナンバリングは、
はっきりいって、
高速道路が培ってきた歴史に対する
冒とくですよ。
たとえば伝統の中央道が、岡谷を境に番号分割、
とか、いったい何様のつもりか、と。

長年、高速道路に趣味を抱いてきた者として、
国交省やNEXCOがこのまま、
あのEなんとかのナンバリング導入を
強引に推し進める魂胆だというならば、
私としては、これから先、
高速道路との付き合いを
見直させてもらわなければならないな、
と強く思っています。
民営化もかなりの衝撃でしたが、
これは私にとってそれ以上の暴挙で、
とてもじゃないですが看過できないのです。

ついつい愚痴めいたことを言ってしまい、
大変申し訳ありません。

Re: いろいろ - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/06/08 (Thu) 19:39:32

>伊北IC仮出口
確かにこれまで仮出口と記してきてしまいましたが、仮出入口が正しそうですね。今のところ入口があった証拠をエリアガイド以外には見つけられていないのですが、出口しかないのは不自然ですからね……

中央道の小淵沢~伊北間ですが、富士見町の乙事墓地が最後まで反対していたようですね。遺跡については、阿久遺跡では保存のために道路構造を変更したようです。中央道はこの他にも高井戸~調布の激しい反対運動とか甲府盆地の「南北戦争」、釈迦堂遺跡など色々と闇の歴史を抱えていますね。

>東北道の仮出口
浦和ICの仮出口は『日本道路公団三十年史』の年表にも載ってますね。岩槻ICは航空写真には載っているのですが、開通日は分かってないです。

>北陸道今庄~敦賀
当時の車線運用を示した図が『道路』の記事にあるのですが、仰る通りになっていますね。

>東京川越道路
川越ICと所沢ICの「有料道路」標識は随分前に交換されてしまいましたね。歴史の生き証人が去っていくのは寂しいものがあります。

>番号制
キロポストをIC番号に転用するのは10年ほど前から中国でも導入されましたね。しかし「欠番」が多すぎて分かりにくく、違和感が拭えません。私としてはIC番号は現状の制度で良いと思っています。
ただ八王子、京都南の第一・第二出口は枝番ではなく「5A」「5B」のようにすれば良いのになぁと思っていたりします。

路線番号は内部に強いこだわりがあったのか……パブリックコメントはほとんど無視される形でしたね。特に上限2桁にかなりこだわってるみたいですし、道路名とナンバリングが一致しないのは混乱を招きそうです。国道に合わせるという方針については、一般利用者にとっての分かりやすさを考えるとある程度合わせるのは良いと思いましたが、どうにも合わせすぎた感がありますね。一桁国道だけ合わせてあとは阪神高速方式で付番するくらい(これは旧案に近い)が、ひょっとするとちょうどよかったのかもしれません。

あと決定したナンバリングでは環状道路を除いてEで始まる一連の系統になっていますが、私としては高規格幹線道路などの全国的高速道路網と大都市近郊の有料自専道は番号系統を分けるべきであったと思っています。第三京浜がE83だったり第二京阪がE89になったりするのは納得いってません。

無題 - masa

2017/05/17 (Wed) 19:14:16

http://fumi.ninja-x.jp/EXPWY/HOKURIKU/HOKURIKU9.html
名立谷浜ICのところですが、画像と文字起こしが合っていないところがあります。

Re: 無題 - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/05/20 (Sat) 17:12:30

ご指摘ありがとうございます。ただいま修正しました。

常磐自動車道 上り いわきJCT~日立南太田IC - NEXCO-EAST

2017/04/08 (Sat) 14:07:46

管理人さん、 
「磐越自動車道」上り線「いわきJCT」⇒「日立南太田IC」を、 
公開してください。 
お願いします。 

Re: 常磐自動車道 上り いわきJCT~日立南太田IC - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/04/09 (Sun) 12:29:50

いずれ公開する予定ですので、しばらくお待ちください。
なお、当方では公開順に関する要望は原則として受け付けておりませんのでご了承ください。

阪神高速について - 匿名

2017/04/04 (Tue) 01:45:17

神戸山手線の須磨ICへの接続についてですが、
阪神大震災発災や道路公団民営化の影響があって、
建設中止となった経緯があるようですね。

名谷JCTが計画時点では、
前田JCTという仮称だった事に関しては、
初めて知りましたが、その仮称の由来は、
当該箇所が名谷町前田(字)と
いうことに拠る様です。
なお神戸西ICは、仮称・木見となっていました。

桂木暫定出入口に関しては、
航空写真にその様子が残っています。
なお、現在、道路上にその名残はありませんが、
ストリートビューを見ますと、
その接続地点であったと思われる
「日の峰2丁目」交差点には、
現在は完全に丁字路であるにもかかわらず、
4方向に信号機があります。
しかも忘れ去られた?ひとつの信号機のみ、
「日の峰2丁目」の標識がありません。

Re: 阪神高速について - 匿名

2017/04/04 (Tue) 02:12:44

東大阪JCTは、
確かに昔は近畿道⇔大阪市内方面だけでしたね。
当時吹田方面の標識・料金所屋根標識は
旧型のローマ字なしIC仕様のものだった
記憶があります。
それが奈良方面に接続されるなどして、
全国でも有数の豪華なJCTへと変貌したものです。

松原JCTに関しては、
一昨年に追加供用されたランプ以外は、
すべて開通当初からあると勘違いしていました。
航空写真で確認しますと、
確かに和歌山方面⇔阪神高速ランプは、
開通当初は無かったようですね。

Re: 阪神高速について - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/04/06 (Thu) 12:44:05

神戸山手線の支線(神戸市道高速道路2号分岐線)に関しては『阪神高速道路公団二十年史』および『阪神高速道路公団三十年史』にも記載があり、1972年12月22日に基本計画指示がなされたようです。しかし三十年史執筆当時はまだ計画が生きており、廃止の経緯は載っていませんでした。並行して北神戸線もあるので必要性は薄そうですが。

名谷JCTの件については他の方からも情報をいただきました。地図にも載らないような小字がジャンクション名にまでなっていたかもしれないと思うと面白いですね。

桂木暫定出入口は恒久的な施設ではなかったですし名残が残っていないのは仕方がないですね。4方向に信号機があるのは面白いです。

東大阪JCTのフル化は第二阪奈の開通まで待たれた可能性がありますね、まだ詳しいことは分かっていないのですが……

松原JCTの阪和道⇔阪神高速ランプですが、三十年史の年表によりますと、1992年2月26日、大堀出入口と同時に開通したようです。

長崎道CSについて - さえんば

2017/03/12 (Sun) 18:42:27

こんにちはー。いつも好団のほうでお世話になっております。
カントリーサインについて訂正があるのですが、
大村市のCSの花はオオムラザクラではなくハナショウブだと思います。
両方とも市の花(オオムラザクラは木かも)なので紛らわしいですが…。よろしくお願いします。

Re: 長崎道CSについて - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/03/14 (Tue) 16:52:57

大村市の花はオオムラザクラのみのようです(http://www.city.omura.nagasaki.jp/kouhou/shise/shokai/konnamachi/hana.html)。ハナショウブであるという記載があれば教えていただきたいです。

Re: 長崎道CSについて - さえんば

2017/03/14 (Tue) 20:52:14

今確認しましたが確かに正式に設定されているのはオオムラザクラのようですね…。訂正いたします。
ただ、「大村フラワー大使」で「サクラ大使」「ハナショウブ大使」の2人を選出していることなどから事実上の市の花をこの2つにすえているのだろうと思っていたので…(余談ですが、4年前のサクラ大使は仲里依紗さんの妹さんです)
ただ、どう見ても木ではないのと、色から判断してCSに描かれているのはハナショウブなのは確実でしょう。

Re: 長崎道CSについて - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/03/18 (Sat) 22:28:09

情報ありがとうございます。こちらでも調べてみたところ大村公園に九州最大規模を誇る花菖蒲園があるそうで、やはりハナショウブである可能性が高いですね。近日中に修正します。

記憶にあることいろいろ - 匿名

2017/02/16 (Thu) 01:56:34

由布岳PAに関して、”消えて”いた時代は、
バスストップに降格していました。
当時の航空写真を見ると、初期PA時代は、
全敷地のごく一部だけを使っていた様です。
それではPAの体をなしていないということで、
一旦PAとしては閉鎖しバスストップに降格、
そして4車線化を機に、
トイレを含めた全敷地を整備、
PAとして再供用したものと思われます。

九州横断道の名称が使われていた件に関して、
これは佐賀県が、長崎道の名称を使うのに
難色を示し、折り合いがつかなかったための
暫定措置だとされていますね。
まあ佐賀県はさぞ不満だったでしょうけれど、
長崎県側と繋がったのを機に暫定措置を解除、
「長崎道」とすることにしたのでしょう。

後に舞鶴道の名称が、福井県の強い要望により、
舞鶴若狭道に変更、なんてことがありましたが、
よくぞこんなことが罷り通ったものだと、
大変驚いた記憶がります。

岡山道に関しては、
全通時に岡山道と名称が決まった訳ですから、
そりゃあそうでしょうね。
参考までに全通前は、JCTに道路名は記されず、
単に「総社」と表示されていました。
もっといえば岡山総社ICの仮称は岡山西で、
山陽道のロングランプ扱いだったのです。
(現・播磨道の播磨JCT-播磨新宮も同じ)

あと高速道路開通史に関しては、
建設白書(現・国土交通白書)も
参考になると思います。
ただし誤植は少なからずあるかもしれません。

Re: 記憶にあることいろいろ - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/02/17 (Fri) 11:18:15

情報ありがとうございます。

由布岳PAについては、”消えて”いた時代はバスストップの標識のみがあったという情報を既に得ています。やはりバスストップ扱いだったと思われますが、はっきりとした証拠が欲しいですし、更なる調査が必要と考えています。

佐賀県の主張によって九州横断道になったというのは巷説となっていますが裏付けが取れていない点でありまして、こちらも更なる調査が必要だなと考えています。

岡山総社ICに関しては、1980年代後半のエリアガイドでは「岡山西」と表示されていましたね。


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