「旅の記録」掲示板

2554
「旅の記録」の掲示板です。
誤植等の指摘、情報提供、リンクの申請、道路関係の雑談などなどご自由に書き込みください。
公序良俗に反する書き込みは禁止、発見次第削除させていただきます。
名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
文字色
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

いろいろ - 匿名

2017/06/09 (Fri) 01:16:16

長くなってきたので新しくスレッドを立てます。

北陸道の件ですが、
その場所に「葉原スイッチ部」という名前が
ついていたとは初めて知りました。
ストリートビューでみますと、
下り線54.6kpあたりの走行車線側に、
恐らく当時のものと思われる、
はみだし禁止表示の痕跡が、
意外にもはっきりと残っています。

上り線側にも、葉原トンネル出口付近に、
壁でおおわれているものの、痕跡がありますし、
またその間には、「今庄36」と記された、
廃道跡ボックスも残されています。

私自身は、同区間の対面通行時代に、
恐らく”通っている”のだろうと思いますが、
当時はまだ産まれたばかりなので、
流石に記憶はありません。

ですが、図書館にて、新聞の縮刷版などで、
開通当時の様子を調べたことがあります。
だいぶ昔のことなので、
記憶があいまいなところもあるのですが、
確か、今庄トンネルは60㎞/h、
対面通行区間は50㎞/h規制で且つはみ出し禁止で
(50㎞/h、40㎞/hだったかもしれない)
標識は固定式、センターポールはなし、
ただし上下線の間はかなり太い幅が設けられ、
斜線が引かれていました。また、
暫定的に上り線または下り線となった箇所には、
トンネル非常駐車帯などは設置されず、
杉津PAも現・上り線のみの供用だった
とのことです。

加えて同区間の開通式は、
12月8日という大変寒い時期であったことと、
トンネル工事を労うという意味で、
今庄トンネル(確か現・上り線)
内で盛大に行われたとのことです。
余談ですが、その12日後に、
笹子トンネルを含む、
中央道の大月-勝沼が供用しているのですよね。

対面通行解除は、昭和55年(1980)のことで、
まず杉津PA現・下り線を含めた
新設部分が完全供用し、
従来部分は暫く1車線規制のままで、
改築工事の後に、規制が解除されたそうですが、
全面供用となったのは、
米原接続より少し遅れてのことだったそうです。

なお当初供用である今庄トンネルの上下線と
敦賀トンネルの現・上り線には、
嘗て天井板があった一方、
後の供用となった敦賀トンネルの現・下り線は、
はじめから天井板なしのジェットファン方式で、
聞くところによると、
敦賀トンネルの現・下り線は、
2000mを超える高速道路トンネルでは、
初のジェットファン適用事例だったそうです。

そもそも何故、この区間は態々、
上下線が入れ替わる特殊構造なのか、
ということですが、
敦賀トンネルを換気し易いよう、
上下線共にトンネル内を下り坂となるようにした
という話を聞いたことがあります。

>鳥取豊岡宮津自動車道(山陰近畿自動車道)は
>どうみても高規格幹線道路になるべき
三陸北縦貫道路・阿南安芸道などもですが、
私も昔から強くそれは感じています。
ナンバリングでは、これら路線は
高規格幹線道路扱いになっているのですが、
それがナンバリングの件では
個人的には唯一、評価出来るところですね。

ただし、明らかに高速道路ではない、
堺泉北道路や一ッ葉有料道路、
大和高田バイパスまで含まれているのは、
いったい何を考えているのか、
言葉はちょっと悪いですが、
”味噌も糞も一緒にするな!”
と物凄い憤りを感じずにはおれません。
(高規格改築を施すなら別ですが。)

おまけに堺泉北道路や阪神高速京都線を、
NEXCO管理に移行し、
都市間高速道路として
一色単にしようとよう企んでいるとかのことで、
従来はその性質の違いから、
厳密に区別されてきた経緯のある
都市高速道路と都市間高速道路すら、
もはや一色単の扱いなのかと、
ここまでくるともはや、怒りを通り越して、
寂しさすら感じますよ・・・。

堺泉北道路は、その性質から、標識を取り換え
阪神高速に改築することは、まあ可能でも、
NEXCO管理の都市間高速道路となれば、
それはどう考えても違和感ありあり、です。

まあこの件もパブリックコメントを
募集していたので、
意見は出したんですけれどね。
結局はこれも出来レースで、
はじめから意見を聞く耳を持つ気など
毛頭なかったようです。
まさしく”物言えば唇寒し”で、
つくづくイヤになっちゃいます。
産まれてこの方40年近く、
興味関心を抱いている高速道路という存在が、
出鱈目な策で致命傷を負わされているようで。

またまた愚痴めいたことで、
大変申し訳ございません。

Re: いろいろ - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/06/12 (Mon) 20:05:49

>北陸道今庄~敦賀
葉原スイッチ部に廃カルバートまであるとは、香ばしい場所ですね……

上下線が入れ替わる理由ですが、「北陸自動車道今庄~米原間の工事概要」によりますと敦賀トンネルの換気の他にも、谷間が狭隘で4車線断面での計画が困難だったという理由があったようです。

>ナンバリング
一ッ葉有料道路や大和高田バイパスは確かにやりすぎと感じています。
堺泉北道路については阪和道と湾岸線を結び、高速道路網に取り込まれているのであまり違和感はありません。湾岸線の南の方も阪神高速でありながら都市間高速道路的な性格がありますし、私としては堺泉北道路は阪神高速よりはNEXCOの方が自然かと思っています。

Re: いろいろ - 匿名

2017/06/17 (Sat) 11:37:39

>中間インターで端点だった時代が
>一番長かったのはどこ

高速自動車国道(AまたはA'路線)では、
東名阪道の亀山ICになるのでしょうかね・・・。
1975.4.17開通、2005.3.13延伸で、
ほぼ30年です。

継続中も含めますとやはり、
東関東道の潮来ICでしょうか。
開通が1987.11.20からですから、
確実に亀山ICを超えますね。

B路線まで含めても、
亀山ICを超える箇所は見つかりませんでした。
ただ北近畿豊岡道(遠坂トンネル)の遠坂ランプが、
1977.5.25開通、2006.7.22延伸で、
亀山ICに次ぐ長さとなります。

※尚、遠坂トンネルの和田山側は、
和田山延伸(同じく2006.7.22)時に、
料金所近くにあった出入路を閉鎖して、
その機能を山東ICに統合、
という形をとっています。

継続中を含めますと、
中部縦貫道の油坂峠出入口があります。
開通は潮来ICより2日早い1987.11.18で、
果たして潮来ICとどちらが
記録となるのでしょうかね。

まあ、そんなつまらん競争しないで、
とちらもさっさと開通させよ!
と言いたいですが・・・。

それに次ぐのが、圏央道の一部扱いとなる
新湘南バイパスの藤沢IC(1988.3.30開通)です。

地域高規格道路(高規格構造)まで
含めていきますと、
確かに山口宇部道路の嘉川ICと
なるのでしょうかね。
ただこちらは供用当初は一般道規格だったため、
高規格道路としては、
2001.3.10開通、2011.7.31延伸、
と定義すべきかもしれません。

あと箱根口ICの事例もあります。
1970.11.15開通、2005.3.28小田原箱根道路接続
ですが、小田原箱根道路はどう見ても
完全な一般道ですから、極めて微妙です。
ただ、小田原箱根道路の区間は、
元々西湘バイパスとして計画されていたらしく、
それが何らかの理由で中止になって、
結局一般道としての事業となったそうです。

またこちらは継続中を含めますと、
トンデモナイ物件にぶつかります。
それは西湘バイパスの大磯東ICで、
1966.4.1開通で、以降現在に至るまで、
新湘南バイパスとの接続が実現しておりません。
これが接続すると確実に50年超です。

【追記】
成程、短さでは、
山陽道・瀬戸中央道の早島ICが
そうだったのですか。
1988.3.1開通、1988.4.10延伸なら、
それは確かに最も短いですね。
紀勢道・南紀白浜ICなどにも言えることですが、
そんな短期間での延伸なら、
何故まとめて一括開業しなかったのかと、
大変疑問に思わざるを得ません。
開通式をするのは、すごくコストがかかるのに。

あと河口湖ICは、
東富士五湖道路方面の延伸を勘案すると、
1986.8.28で記録は途切れますし、
(河口湖IC-富士吉田TBは中央道)
青森ICに関しても、現地標識状況を勘案すると、
そのまま青森道に接続しているとも見れる故、
青森道が開通した2003.9.28で記録が途絶えたと、
捉えたほうが良い気がします。

Re: いろいろ - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/06/17 (Sat) 21:27:48

いろいろとありがとうございます。

亀山ICに関してですが、名阪国道に直通していたことから端点とは見做せないのではないかと考えています。有料無料の違いはあるにせよ当時は名阪間を結ぶ一体の道路と見なされていたのではないでしょうか。

とりあえず高速自動車国道(自専道と直通する箇所も含む)に関して調べてみたところ、最長は長崎多良見ICの7801日、最短は早島ICの40日になりました。

未延伸のICでは、潮来ICは既に一万日を超えてますね。
あと注目なのが沖縄道許田ICでしょうか。もし名護東道路に直通するということになれば、40年を超える大記録になります。もっとも、信号解消で済まされそうな気もしてますが。
練馬ICも首都高接続が実現すれば大記録になりますが、さすがに期待できなさそうです。

高速自動車国道以外も含めると、開通当初は自専道でない例もあったりして厄介ですが集計してみようとは思っています。

大磯東IC、気づかなかったです。確かに長いですね。ここは国道がよく混むので早く整備してほしいと思っています。
小田原箱根道路は自専道ではないですが、第1種規格で整備して自専道に指定すれば良かったのにと思っています。
逆に、箱根新道が自専道に指定されているのは今となっては違和感だらけですね。

Re: いろいろ - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/06/17 (Sat) 21:38:41

追記に対する返信です。

河口湖ICは仰る通りで完全にこちらのミスです。ご指摘ありがとうございます。

青森道は仰る通り事実上東北道の延長なのですが、あくまでも青森ICと青森JCTは別の施設ということになっており、両施設間に2.1kmの延長があることから延伸とはみなしていません。
記録には載っていませんが木更津南ICも同様に扱っています。

Re: いろいろ - 匿名

2017/06/17 (Sat) 21:57:47

確かに亀山ICの場合は、
開通当初想定していなかった形での改築で、
真の意味でこのケースに当てはまるか
どうか判断が難しいところですが、
亀山直結線も「東名阪道」であること、
加えてキロポストも連続するということで、
一応挙げてみました。

>沖縄道許田IC
名護東道路と繋げるならば、
それははっきりいって直通以外有り得ません。
信号機撤去とかでお茶を濁さないでほしいと、
強く感じます。
あと欲を言えば、名護東道路を更に、
美ら海水族館のある本部町まで延伸する、
ということも真剣に検討すべきかと思います。

>練馬ICも首都高接続が実現すれば大記録
同様のことが、
第三京浜・玉川ICにも言えそうですが、
流石にそれは夢物語で終わりそうです。
玉川といえば、新東名の真の起点として、
想定されている場所ですが、
それも本当に出来るかどうかは、
極めて怪しいですね。
新東名が海老名起点では、
圏央道・首都高湾岸線ルートが成立しようが、
新東名としての意義は
あまりにも中途半端になってしまう故、
せめて世田谷ー玉川、戸塚ー海老名南を新築、
残る玉川ー戸塚に関しては、
第三京浜や横浜新道を長期間閉鎖の上、
高速道路と一般道との2層構造に造り直すことで、
何とか新東名を完成させられないものかと、
個人的には思っているのですが・・・。

そうなれば、玉川や戸塚で、この手の
トンデモナイ記録が誕生しそうです。

>開通前の仮称は登別IC、室蘭東IC、室蘭西IC
そうだったのですか。
登別室蘭ICの所在地は完全に登別市域ですので、
幾ら何でも、正式名称を室蘭東とするわけには
いかないでしょう。
けれども室蘭市の最寄の一つであることも事実、
それで登別室蘭ICということにしたのでしょう。
ここは末端がすごく長かった記憶がありますが、
実際は1986.10.9開通、1991.10.25延伸ですから、
概ね5年ほどだったのですね。
(まあ元号は、昭和・平成で跨いでいますが)

登別東ICは、如何にも当時らしい命名で、
この頃の命名傾向だと多分、
登別温泉ICとなるのでは、と思います。
なお、温泉を冠するIC名称の初適用事例と
なったのは、日本海東北道のあつみ温泉ICです。
【訂正】
同じく、日本海東北道の村上瀬波温泉ICが、
約1年早く適用されていました。

また室蘭ICが正式名称の時点で西が取れたのは、
室蘭市唯一のICであることと、
白鳥大橋の存在だと思いますね。

道央道の道南線は一刻も早い全通及び
全線4車線化して貰いたいところですが、
せめて登別室蘭IC-虻田洞爺湖ICは、
直ちに4車線化すべき段階だと強く思います。
本輪西PAも、下り札幌方面側の敷地が
確保されているのも関わらず・・・。
そんなんだから”展望所”なんて言う
あいまいな名称が続くのです。

Re: いろいろ - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/06/18 (Sun) 18:01:57

>亀山IC
これは解釈によって揺れるのではないでしょうか。
私は終点であったということに重点をおいているので亀山ICは排除しましたが、延伸したということに重点をおくと亀山ICも入ってきますね。

>許田IC
私も中途半端な整備は好ましくないと思っています。やはり直通が望ましいですね。鳥取道志戸坂トンネルよりはマシですが……
本部延伸は面白そうですが、既に国道449号が4車線で整備されているので現実的には厳しいと思います。

>玉川IC
やはり海老名から圏央道経由で横浜・東京方面は迂遠すぎて使い物にならないと思います。とはいえ圏央道沿線や湘南方面にもかなりの人口があるので、圏央道までの整備でも一定の成果は出ると思います。欲を言えば外環まで欲しいですが、費用が掛かりすぎるのが問題ですね。

>登別室蘭IC
確かに完全に登別市内にありますし、登別市が反発したであろうことは想像に難くないですね。
個人的にはIC名に関して自治体の境界にこだわるのは良くないと思っていますが、ここに関しては登別市中心部にも近い(とはいっても登別温泉からは離れていますが)ので納得はできます。登別東ICは登別温泉ICの方が良いですね。

道央道4車線化は交通量を考えるとかなり厳しいですが、並行する一般道が少ない地域ですし冗長性と安全性を確保するためには拡幅してほしいと思っています。まあそもそも暫定2車線が本則から外れたものなので、あまり安易に暫定整備にしてほしくはないのですが。

Re: いろいろ - 匿名

2017/06/22 (Thu) 03:45:17

>越美通洞の開通は1986年ですが
>油坂出入口の開通は1999年
1999年に、白鳥方面延伸のための料金所と
中部縦貫道の緑色案内標識が設置されたので、
開通は1999年となっているのですが、
接続地点自体は、
越美通洞のみの時代から同じです。

越美通洞のみの時代は、
「中部縦貫道」とは案内されず、
「この先 自動車専用道路有り」
の標識が立っているのみでした。
現在も旧道にその標識が残っており、
ストリートビューで確認出来ます。

越美通洞が出来た頃、私はまだ小学生で、
ローカルニュースで騒いでいたことが、
記憶に鮮明に残っています。
当時は福井県側から越美通洞を通ると、
程なく現道に戻り、そしてループ橋で、
白鳥市内へと降りていくルートでした。

ループ橋は1989年に出来たものでして、
これはきっと将来、越美通洞と共に、
中部縦貫道に転用されるものなのだろうな、
と思っていたところ、全く別ルートでしたので、
あれっ、こんな立派なループ橋なのに、
メインルートとしては、ほんの暫くの間しか
日の目を見ないのか・・・。
だったら態々、このループ橋を建設する必要は
無く、旧道のままでよかったのでは?
と痛感したものです。

それはさておき、ストリートビューで見ますと
油坂峠道路の荒廃ぶりは、
あんまりの状態で、物寂しさすら感じます。
舗装はガタガタ、センターラインは剥げ落ち、
対面通行用のポールもまともに立っていない、
気候が大変厳しい場所のゆえに、
傷みやすいのは事実なのでしょうけれど、
それにしても酷過ぎます。
無料化してから、コスト削減の結果なのか、
維持管理にほとんど手が加えられていない、
そんな有様が見え見えです。
恐らく日本で一番悲惨な高規格道路でしょうね。

Re: いろいろ - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/06/23 (Fri) 13:53:29

油坂峠道路は去年通ったのですが、確かに荒れ果ててましたね……

油坂出入口の開通時期については1999年に油坂側0.1kmが開通したことになっているようなので接続地点が変わったと思ったのですが、料金所整備の関係でそう扱っているだけなんでしょうか。

あと越美通洞って開通当初から自動車専用道路だったのでしょうか。50km/h制限になっているあたり怪しいと思っていたのですが。


Re: いろいろ - 匿名

2017/06/23 (Fri) 14:24:36

>越美通洞って開通当初から自動車専用道路
>だったのでしょうか。

「自動車専用道路」と案内されておりましたが、
その通りです。「越美通洞」の標識に関しても、
現在のものは、1999年に更新されたものですが、
開通当初から高速道路仕様です。

但し制限速度は、40㎞/hでしたし、
現状もそうですが、越美通洞のトンネル自体も、
明らかに高速道路っぽくない感じ※でした。
当時はまだ、中部縦貫道の計画自体が
広く知られていた時代ではなく、
何故このトンネルが自動車専用道路なのか、
摩訶不思議に感じた方も多かったでしょうね。

※なんとなく、同じ158号線の
平湯トンネルとよく似た雰囲気でした。

>道路交通センサス
ウィキペティアを御覧戴いたのでしょうか。
2005、2010年のデータに、
今回発表された2015年のデータを並べますと、
何か色々考えさせられますね。

いろいろ - 匿名

2017/05/22 (Mon) 18:56:57

>十勝オホーツク道を名乗る資格はない
まずは、一旦施工命令が出ながら、未だ凍結状態である、足寄~陸別の事情再開が喫緊の課題ですね。それに加え、北海道としては、北見東~美幌高野の早期事業化を強く要請している動きは一応あるようです。ただ、こういったことは、田中角栄のようなダイナミックな考えを持つ首相が出現しない限り、非常に厳しいのでしょう。

>沖縄道那覇ICは・・・那覇の中心部までは結構時間がかかる。
那覇IC流出後、すぐに右折し、金城ダムや石畳道のところを通り、松川交差点から安里に向かえば、案外国際通りは近いのですが、ナビではこの道はあまり案内されません。

>道央道北側のIC番号は50番台
確かにそうであったみたいですね。
今は交換されていますが、嘗ては番号部分を直したんだなという形跡がありました。まあ道央道は、札幌JCTを境に別路線の印象ですけれどね。

>中央道原PAは、開通当初は原PAだった可能性
他に原と名乗るPAはないのに、なぜ態々中央道とついているのだろうと思って調べたら、同PAにバスストップが併結されていることが、そうなった経緯のようです。
今はもう廃止されているのですが、当時は東名に原バスストップというのがあったらしく、それと区別する意味で中央道とつけたようです。なお東名のほうは、中央道原と対をなすように、通称「東名原」と言われていたようです。

Re: いろいろ - 匿名

2017/05/22 (Mon) 19:16:09

>宮崎道えびのJCT〜高原ICは"九州自動車道"扱い
ぞういえば、嘗て道路施設協会時代の霧島SAスタンプの路線名は、MIYAZAKI ではなく、KYUSHUと書いてあったものでして、あれっと思った記憶があります。単なる誤植かなと解釈していたのですが、こういう資料を見ますと、供用当初はもしかすると九州道だったのかもしれません。
長野道の岡谷JCT-岡谷ICも、松本方面に延伸するまで中央道と名乗っていたとされていますし。

>宝塚IC〜西宮北ICが未開通で、途中に仮出入口が設けられていた
所謂「青葉台」問題で当該区間開通のめどが立たず、仮出入口が設けられていたことは知っていましたが、仮出入口に生瀬・尼子という名称があったことは、初めて知りました。現地の通行台数からしても、今の時代なら到底考えられない、ありえない措置であります。

>部分開通時代の竜野西SAはトイレだけ
その凡そ3か月後の山陽姫路東IC延伸の時点で、竜野西SAは完全供用されています。なお吉備SAも、供用当初はトイレのみで、備前ICー岡山ICがつながった折に、完全供用となりました。

Re: いろいろ - 匿名

2017/05/22 (Mon) 20:20:34

>1994年の吹田JCT改良に関する
ここは完成形までに何段階かありましたね。
茨城の本線料金所機能は、既に1994年3月の時点で吹田にi移転していた記憶があります。

>砺波JCT→小矢部JCT→小矢部砺波JCT
ガイドでは確かにそうなっていた記憶がありますね。
正式名称が小矢部砺波になった経緯は、小矢部市と砺波市がお互い譲らなかったための、折衷の結果と言われています。
また、ここは地下ボックスを入れるのに、長きにわたって北陸道を一車線規制するなど、相当大規模な工事だったことが思い出されます。しかしまあ東海北陸道は、初開通から全線開通まで随分と時間がかかったものです。

Re: いろいろ - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/05/26 (Fri) 10:37:23

いろいろな情報をありがとうございます。

>十勝オホーツク道
ネットワーク的には必要な道だと思いますが、沿線人口等を考えると難しいのでしょうね……

>那覇IC
那覇ICは他の都市と比べると決して市街中心部から遠いわけではないと思うのですが、かつて那覇と首里が別の都市であったということを思うと遠く感じちゃいますね。

>道央道北側のIC番号
実は、50番台であったことは『日本道路公団三十年史』に載っている写真でも不鮮明ながら確認できます。「道央道」で通さずに札幌で道路名を分けちゃうのが一番良いとは思うのですが。

>中央道原PA
バスストップのせいだったとは、なるほどなぁという感じです。改めて調べてみたいところです。

>宮崎道
『高速道路と自動車』の開通記事に「宮崎自動車道」と書かれていることから、九州自動車道であった可能性は低いと見ています。しかしスタンプにも「九州道」と書かれていたのが事実であればこれはなかなか深い問題になりそうですね……

>青葉台問題
やはり仮出入口での対応は当時だったからこそできたことでしょうね。当該区間の容量が逼迫して新名神の開通が待たれる現在となっては想像できないですね。

>竜野西SA
1980~90年代のエリアガイドを見ると、暫定供用だったサービスエリアはそこそこあった印象を受けますね。採算の問題もあるので最初から施設を充実させるのは難しいのでしょうね。

>吹田JCT
大きな改良工事ですから段階を踏んでいる可能性は十分にありますね。機会を見つけてまた調べてみようと思っています。

>小矢部砺波JCT
今では折衷案的に二つの自治体名を入れるのはよくあることですが、エリアガイドにおける名称がころころ変わるのは面白いと感じました。
東海北陸道は、名神接続部分がやけに遅れた印象がありますね。

Re: いろいろ - 匿名

2017/05/30 (Tue) 01:32:20

>元々は新潟バイパス経由で磐越道と接続する予定
亀山直結線開通前は、
東名阪道と伊勢道の相互行き来に
名阪国道を経由する必要があったために、
それぞれで料金を精算するという
事例があったので何とも言えませんが、
それは個人的には俄かに信じがたい話です。

当時はまだ、磐越道は予定路線だったので、
北陸道と磐越道がどういう形で接続をするか、
具体的なことまでは考慮していなかったのでは
ないでしょうか。

磐越道がいざ具体的になったころには、
日本海東北道の構想も明るみになっていたので、
現状のような形に落ち着いたものと思われます。

長岡JCT以北の北陸道に関しては、
形状からも、
嘗ては関越道の番号が振られていたことからも、
関越道と名乗ったほうが自然だっただろうに、
なぜ北陸道と名乗る上に、
現地案内では「高速道路」表記など、
それを避けるような案内になっているのか、
また何故、当時の時点で新潟市中心部付近まで
高速道路を引っ張ることを考えなかったのか、
田中角栄が健在の時代だっただけに、
摩訶不思議な話であります。

Re: いろいろ - 匿名

2017/05/30 (Tue) 15:44:41

>京葉道路1期
恐らく、その平面交差のいうのは、
開通当初は有料区間とされながら、
現在は一般道となっている、
一の江橋⇔柴又街道交点、船橋IC⇔国道14号交点
を指しているのでは、思います。

>小田原厚木道路
開通当初、平面交差となっていた箇所は、
一般道がアンダーパスする形で、
それが解消されたということが、
航空写真等で分かりますね。

>長崎バイパス
確か、4車線化される前は、
見た目は単なる有料の一般道に過ぎず、
4車線化されたのを機に高規格構造となった、
私の記憶では、そうだった気がします。

Re: いろいろ - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/06/02 (Fri) 11:48:01

>北陸道と磐越道の接続
『日本道路公団二十年史』p.248に、
「北陸自動車道と東北横断自動車道いわき・新潟線との連結も、国道の新潟バイパスを介して接続するよう計画されている」
と記されています。
直接繋がずにわざわざ新潟バイパス経由としたのは、当時の料金システムが膨大な路線網を処理できず、料金圏を分割する必要があったためです。開通当初の吹田JCTが直接つながっていなかったのも、これが一因となっています。
(結局料金システムは改良され、現在北陸道と磐越道は直接接続しています)

>京葉道路1期
京葉道路開通当初は一之江橋~船橋の全線に、合計37箇所の平面交差がありました。篠崎IC~船橋ICが立体化されたのは1971年のことで、二期区間と首都高の開通で取り残された両端の区間だけがそのまま残り現在に至っています。

>小田原厚木道路
本線が地平面を通っているのがまさに平面交差だった名残ですね。(これは京葉道路一期区間も同じです)

>長崎バイパス
4車線化される前・開通当初から全線立体交差の自動車専用道路だったようですが、開通当時は高速道路網に組み込まれることは考えていなかったみたいですね。

Re: いろいろ - 匿名

2017/06/03 (Sat) 12:50:16

20年史は昭和51年発行なので、
当時の通行券といえば、
かなり大きいサイズのパンチカードでしたし、
確かに膨大な路線網を処理するのは、
極めて困難だったと思われます。
ならば本線料金所を設置して、一度清算の上で、
再び通行券を発行するなんてことは、
考えなかったのでしょうかね・・・。

個人的には、
パンチカードの時代はちょっと記憶にあって、
昭和末期のころは東名や名神などが、
パンチカードのままだったために、
今は無き、米原や山崎の本線料金所で、
パンチカードと磁気カードを交換していた、
そんな記憶がありますね。

>伊北IC仮出口
ここは当時の航空写真が残っていないため、
結局どういう形になっていたのか、
よく分からないといったところですが、
どうも現在の辰野PAのところではなく、
もう少し先のところだった感じですね。

最近、個人的に怪しいなぁと思っているのは、
191.3KPあたりで上り線脇に見えてくる側道で、
どうもこれじゃないかなという気がしています。

>宝塚IC〜西宮北IC間の2箇所の仮出入口
これは航空写真に当時の様子が残っていますね。
仮出入口からそれぞれのICまでは、
対面通行規制だった様子が見て取れます。

Re: いろいろ - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/06/04 (Sun) 20:44:47

>通行券
本線料金所の設置も考えられていたようで、1971年に米原、泉など4箇所の設置が決定されました。実際に設置されたのは十年ほど後になってからでしたが。
パンチカードから磁気カードへの変更は段階的に行われましたね。例えば山崎以西は1984年で以東は1988年に変更されています。

>伊北IC仮出口
伊北IC仮出口~伊北ICの延長は5.6kmだったそうなので、190.4kp辺りになるみたいですね。

>宝塚IC〜西宮北IC間の2箇所の仮出入口
1975年3月の航空写真ですね。ここは現地にも行ったことがあるのですが、構造物の痕跡は発見できませんでした。

Re: いろいろ - 匿名

2017/06/06 (Tue) 00:43:40

伊北IC仮出口に関しては、
伊北ICから5.6㎞の場所に位置していたと
されているのに加え、
改めて、地図・空中写真閲覧サービス内の
当時の国土地理院の地図と照らし合わせても、
私の推定した場所とは、明らかに先の場所に
位置していたように見えるため、
仰る通り、190.4kp辺りにあったのでしょうか。

という訳で、Googleマップで、
その190.4kp辺りを改めて確認してみたところ、
実はそれらしい遺構が残っている様なのです。
上り線の横、樹木が生い茂っている所ですが、
目を凝らしていくと、
そこには2車線ぐらいの道路があったような、
そんな遺構が見えてくるのです。
もしかするとこれがその名残なのでしょうか。

あとやはり入口もあったのでしょうか。
当時のガイドにはそう書いてあるみたいですね。

そもそもなぜ当該区間(小淵沢~伊北)は、
建設遅れの要因になりうる、長大トンネルなどの
難工事構造物など特段ないにも関わらず、
何故仮出口を設置しなければならないくらいに、
建設が遅れたかということですが、
その要因の一つとして、
高速道路ルート上に神社が存在し、
その神社移転を巡って揉めたような話を聞いた
様な気がして、改めて調べてみたところ、
諏訪大社に深く関わるとされる
「宮川御頭御社宮司社」が、
確かに中央道建設により移転している様ですね。
あと、当該箇所には多数の歴史的遺跡があり、
かなり大がかりな発掘調査が必要だった、
ということもあったようです。

なお当時は、
案外仮設のものは珍しくもなかったようです。
浦和ICが末端のころ、
東京方面へ向かう車の混雑緩和のため、
現・浦和本線料金所を利用する形で、
国道122号線へ直接繋ぐ仮設ランプが
あったことは、まあご存知のことと思いますが、
岩槻ICが末端だった頃も、
同様の措置が取られていた様です。
(航空写真で確認)
現存するかどうかは知りませんが、
上り線岩槻IC手前1.5kmに、
いまいち意味不明の分岐看板があるのは、
その名残とされます。

また出入口ではないですが、
北陸道の敦賀IC-今庄IC開通当初は、
敦賀IC-葉原TN南口付近が現・上り線、
葉原TN南口付近-敦賀TN北口付近が現・下り線、
を使っての対面通行だったため、
全面供用となるまでの2年半ぐらいの間、
これらを暫定的に結ぶ連絡路が
設置されていたとされています。
Googleマップを見ますと、
その痕跡は僅かながらに残っているのですが、
連絡路自体は殆ど原型をとどめていません。

>東京川越道路
当該区間は有料道路表示が残っている(いた?)
のがその名残ではありますが、
6車線化が行われた際に、
元・東京川越道路区間は、現・第一走行車線が、
それ以外の区間は、現・追越車線が、
それぞれ追加施工されたという経緯があります。

Re: いろいろ - 匿名

2017/06/08 (Thu) 18:04:27

>4方向JCTの番号は両方の系統で・・・
まとまった系統があってこそのIC番号

個人的な意見としては、
もっと抜本的な改定が必要と思っています。

現状の連番制のままだと、どうしても、
枝番や欠番が生じて大変分かりにくいので、
この際アメリカのように、IC/JCT番号を
キロポストを基軸とした三桁番号とし、
(一桁・二桁の場合、ない桁を0で補う)
そしてJCTには、
接続するすべての路線の番号を記載すべき。
更に路線別ナンバリングと組み合わせて、
IC/JCT毎の個別コード番号にすれば、
カーナビへの応用など、すごく利便性が増す。

パブリックコメントで、こう力説したのですが、
まったく聞き入れてもらえませんでした。
というより、パブリックコメントなんぞ、
所詮ガス抜きに過ぎなかったのでしょう。

ナンバリング自体についても、
ナンバリングの必要性は認めつつも、
あのEなんとかの案には断固反対、
という意見が大多数だったにもかかわらず、
結局それがごり押しされてしまいました。

(※)
一般的には、国交省旧案を推す意見が、
非常に多かったようです。
私の意見は、それとは異なるものでしたが、
内心は旧案に落ち着くならば、
それでよしと思っていました。

高速道路の歴史は、一般国道の歴史とは、
全く異なる経緯を辿りますし、
そもそも高速道路は、主要一般国道を意識して
建設が進められたわけではないので、
あのEなんとかのナンバリングは、
はっきりいって、
高速道路が培ってきた歴史に対する
冒とくですよ。
たとえば伝統の中央道が、岡谷を境に番号分割、
とか、いったい何様のつもりか、と。

長年、高速道路に趣味を抱いてきた者として、
国交省やNEXCOがこのまま、
あのEなんとかのナンバリング導入を
強引に推し進める魂胆だというならば、
私としては、これから先、
高速道路との付き合いを
見直させてもらわなければならないな、
と強く思っています。
民営化もかなりの衝撃でしたが、
これは私にとってそれ以上の暴挙で、
とてもじゃないですが看過できないのです。

ついつい愚痴めいたことを言ってしまい、
大変申し訳ありません。

Re: いろいろ - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/06/08 (Thu) 19:39:32

>伊北IC仮出口
確かにこれまで仮出口と記してきてしまいましたが、仮出入口が正しそうですね。今のところ入口があった証拠をエリアガイド以外には見つけられていないのですが、出口しかないのは不自然ですからね……

中央道の小淵沢~伊北間ですが、富士見町の乙事墓地が最後まで反対していたようですね。遺跡については、阿久遺跡では保存のために道路構造を変更したようです。中央道はこの他にも高井戸~調布の激しい反対運動とか甲府盆地の「南北戦争」、釈迦堂遺跡など色々と闇の歴史を抱えていますね。

>東北道の仮出口
浦和ICの仮出口は『日本道路公団三十年史』の年表にも載ってますね。岩槻ICは航空写真には載っているのですが、開通日は分かってないです。

>北陸道今庄~敦賀
当時の車線運用を示した図が『道路』の記事にあるのですが、仰る通りになっていますね。

>東京川越道路
川越ICと所沢ICの「有料道路」標識は随分前に交換されてしまいましたね。歴史の生き証人が去っていくのは寂しいものがあります。

>番号制
キロポストをIC番号に転用するのは10年ほど前から中国でも導入されましたね。しかし「欠番」が多すぎて分かりにくく、違和感が拭えません。私としてはIC番号は現状の制度で良いと思っています。
ただ八王子、京都南の第一・第二出口は枝番ではなく「5A」「5B」のようにすれば良いのになぁと思っていたりします。

路線番号は内部に強いこだわりがあったのか……パブリックコメントはほとんど無視される形でしたね。特に上限2桁にかなりこだわってるみたいですし、道路名とナンバリングが一致しないのは混乱を招きそうです。国道に合わせるという方針については、一般利用者にとっての分かりやすさを考えるとある程度合わせるのは良いと思いましたが、どうにも合わせすぎた感がありますね。一桁国道だけ合わせてあとは阪神高速方式で付番するくらい(これは旧案に近い)が、ひょっとするとちょうどよかったのかもしれません。

あと決定したナンバリングでは環状道路を除いてEで始まる一連の系統になっていますが、私としては高規格幹線道路などの全国的高速道路網と大都市近郊の有料自専道は番号系統を分けるべきであったと思っています。第三京浜がE83だったり第二京阪がE89になったりするのは納得いってません。

無題 - masa

2017/05/17 (Wed) 19:14:16

http://fumi.ninja-x.jp/EXPWY/HOKURIKU/HOKURIKU9.html
名立谷浜ICのところですが、画像と文字起こしが合っていないところがあります。

Re: 無題 - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/05/20 (Sat) 17:12:30

ご指摘ありがとうございます。ただいま修正しました。

常磐自動車道 上り いわきJCT~日立南太田IC - NEXCO-EAST

2017/04/08 (Sat) 14:07:46

管理人さん、 
「磐越自動車道」上り線「いわきJCT」⇒「日立南太田IC」を、 
公開してください。 
お願いします。 

Re: 常磐自動車道 上り いわきJCT~日立南太田IC - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/04/09 (Sun) 12:29:50

いずれ公開する予定ですので、しばらくお待ちください。
なお、当方では公開順に関する要望は原則として受け付けておりませんのでご了承ください。

阪神高速について - 匿名

2017/04/04 (Tue) 01:45:17

神戸山手線の須磨ICへの接続についてですが、
阪神大震災発災や道路公団民営化の影響があって、
建設中止となった経緯があるようですね。

名谷JCTが計画時点では、
前田JCTという仮称だった事に関しては、
初めて知りましたが、その仮称の由来は、
当該箇所が名谷町前田(字)と
いうことに拠る様です。
なお神戸西ICは、仮称・木見となっていました。

桂木暫定出入口に関しては、
航空写真にその様子が残っています。
なお、現在、道路上にその名残はありませんが、
ストリートビューを見ますと、
その接続地点であったと思われる
「日の峰2丁目」交差点には、
現在は完全に丁字路であるにもかかわらず、
4方向に信号機があります。
しかも忘れ去られた?ひとつの信号機のみ、
「日の峰2丁目」の標識がありません。

Re: 阪神高速について - 匿名

2017/04/04 (Tue) 02:12:44

東大阪JCTは、
確かに昔は近畿道⇔大阪市内方面だけでしたね。
当時吹田方面の標識・料金所屋根標識は
旧型のローマ字なしIC仕様のものだった
記憶があります。
それが奈良方面に接続されるなどして、
全国でも有数の豪華なJCTへと変貌したものです。

松原JCTに関しては、
一昨年に追加供用されたランプ以外は、
すべて開通当初からあると勘違いしていました。
航空写真で確認しますと、
確かに和歌山方面⇔阪神高速ランプは、
開通当初は無かったようですね。

Re: 阪神高速について - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/04/06 (Thu) 12:44:05

神戸山手線の支線(神戸市道高速道路2号分岐線)に関しては『阪神高速道路公団二十年史』および『阪神高速道路公団三十年史』にも記載があり、1972年12月22日に基本計画指示がなされたようです。しかし三十年史執筆当時はまだ計画が生きており、廃止の経緯は載っていませんでした。並行して北神戸線もあるので必要性は薄そうですが。

名谷JCTの件については他の方からも情報をいただきました。地図にも載らないような小字がジャンクション名にまでなっていたかもしれないと思うと面白いですね。

桂木暫定出入口は恒久的な施設ではなかったですし名残が残っていないのは仕方がないですね。4方向に信号機があるのは面白いです。

東大阪JCTのフル化は第二阪奈の開通まで待たれた可能性がありますね、まだ詳しいことは分かっていないのですが……

松原JCTの阪和道⇔阪神高速ランプですが、三十年史の年表によりますと、1992年2月26日、大堀出入口と同時に開通したようです。

長崎道CSについて - さえんば

2017/03/12 (Sun) 18:42:27

こんにちはー。いつも好団のほうでお世話になっております。
カントリーサインについて訂正があるのですが、
大村市のCSの花はオオムラザクラではなくハナショウブだと思います。
両方とも市の花(オオムラザクラは木かも)なので紛らわしいですが…。よろしくお願いします。

Re: 長崎道CSについて - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/03/14 (Tue) 16:52:57

大村市の花はオオムラザクラのみのようです(http://www.city.omura.nagasaki.jp/kouhou/shise/shokai/konnamachi/hana.html)。ハナショウブであるという記載があれば教えていただきたいです。

Re: 長崎道CSについて - さえんば

2017/03/14 (Tue) 20:52:14

今確認しましたが確かに正式に設定されているのはオオムラザクラのようですね…。訂正いたします。
ただ、「大村フラワー大使」で「サクラ大使」「ハナショウブ大使」の2人を選出していることなどから事実上の市の花をこの2つにすえているのだろうと思っていたので…(余談ですが、4年前のサクラ大使は仲里依紗さんの妹さんです)
ただ、どう見ても木ではないのと、色から判断してCSに描かれているのはハナショウブなのは確実でしょう。

Re: 長崎道CSについて - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/03/18 (Sat) 22:28:09

情報ありがとうございます。こちらでも調べてみたところ大村公園に九州最大規模を誇る花菖蒲園があるそうで、やはりハナショウブである可能性が高いですね。近日中に修正します。

記憶にあることいろいろ - 匿名

2017/02/16 (Thu) 01:56:34

由布岳PAに関して、”消えて”いた時代は、
バスストップに降格していました。
当時の航空写真を見ると、初期PA時代は、
全敷地のごく一部だけを使っていた様です。
それではPAの体をなしていないということで、
一旦PAとしては閉鎖しバスストップに降格、
そして4車線化を機に、
トイレを含めた全敷地を整備、
PAとして再供用したものと思われます。

九州横断道の名称が使われていた件に関して、
これは佐賀県が、長崎道の名称を使うのに
難色を示し、折り合いがつかなかったための
暫定措置だとされていますね。
まあ佐賀県はさぞ不満だったでしょうけれど、
長崎県側と繋がったのを機に暫定措置を解除、
「長崎道」とすることにしたのでしょう。

後に舞鶴道の名称が、福井県の強い要望により、
舞鶴若狭道に変更、なんてことがありましたが、
よくぞこんなことが罷り通ったものだと、
大変驚いた記憶がります。

岡山道に関しては、
全通時に岡山道と名称が決まった訳ですから、
そりゃあそうでしょうね。
参考までに全通前は、JCTに道路名は記されず、
単に「総社」と表示されていました。
もっといえば岡山総社ICの仮称は岡山西で、
山陽道のロングランプ扱いだったのです。
(現・播磨道の播磨JCT-播磨新宮も同じ)

あと高速道路開通史に関しては、
建設白書(現・国土交通白書)も
参考になると思います。
ただし誤植は少なからずあるかもしれません。

Re: 記憶にあることいろいろ - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/02/17 (Fri) 11:18:15

情報ありがとうございます。

由布岳PAについては、”消えて”いた時代はバスストップの標識のみがあったという情報を既に得ています。やはりバスストップ扱いだったと思われますが、はっきりとした証拠が欲しいですし、更なる調査が必要と考えています。

佐賀県の主張によって九州横断道になったというのは巷説となっていますが裏付けが取れていない点でありまして、こちらも更なる調査が必要だなと考えています。

岡山総社ICに関しては、1980年代後半のエリアガイドでは「岡山西」と表示されていましたね。

画像の使用願い 栗田健

2017/02/08 (Wed) 10:23:56

http://fumi.ninja-x.jp/CHUGOKU3.html
上記アドレスのお写真を拝借致したく、ご連絡させていただいております。些少ながら謝礼をお渡しさせていただきます。仔細、メールを頂戴できれば幸いです。よろしくお願い申し上げます。

Re: 画像の使用願い T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/02/09 (Thu) 21:39:16

遅くなりましたが、ただいまメールを送らせていただきました。ご確認ください。

越後平野 - 匿名

2017/02/03 (Fri) 19:22:25

いつも楽しく拝見させていただいております.

HP内の高速道路写真集,「関越自動車道六日町IC→大和PA 越後平野を駆ける」とありますが,「越後平野」ではなく,「魚沼盆地」のほうがしっくりきます.

魚沼地域は,越後山脈に囲まれ,魚野川を中心とした堆積盆地であります.

細かい指摘で申し訳ございませんが,新潟県民として少し違和感を感じまして….

Re: 越後平野 - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/02/07 (Tue) 09:08:05

ご指摘ありがとうございます。確かに六日町周辺は盆地状になっていますね。
修正させていただきましたのでご確認ください。

番場PAについて - 匿名

2017/01/29 (Sun) 00:59:59

現在の米原JCTの場所に、嘗て番場PAというのがあったことは、相当前から噂に聞いていて、最近史料からそれを確認したところです。

地図・空中写真閲覧サービスで見ると、確かに1972年の写真には、それらしき施設が確認できます。ただ1975年9月の写真になると、その辺りでは米原JCTの工事が始まっていて、その後同年11月の写真では、米原JCTボックス設置のためか、一時的に名神のう回路が設置されている様子が伺えます。また現在の伊吹PA下りの場所に関しては、1975年10月の時点ではまだ工事中で、1977年の写真では出来ています。

以上のことから、番場PAは遅くとも1975年9月までに閉鎖され、代替の伊吹PA下りは入れ替えで供用されたたのではなく、タイムラグがあったのではと推定出来ます。

なお伊吹PAは、実は上り線も供用当時とは場所が変わっています。地図・空中写真閲覧サービスで確認すると、現在の下りPAの北西方向の、管理施設がある小さな小さなスペースが、もともと上りPAがあった場所らしく、1986年の写真では現在地が工事中で、1990年には出来ていることから、この間に移転したのでしょう。

Re: 番場PAについて - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/01/29 (Sun) 11:11:30

丁寧な説明をありがとうございます。航空写真については昨夜twitterでも話題になっていまして、把握しております。大まかな時期は航空写真から分かるのですが、やはり詳しい時期を明らかにしたいところです。
伊吹PAの移転については恥ずかしながら昨夜初めて知りました。駐車台数や敷地面積から考えると、確かにその場所になりそうですね。

エリアガイドのIC番号について - 匿名

2017/01/31 (Tue) 21:44:32

道路施設協会時代のエリアガイドについてですが、
IC番号については結構、誤植があるなぁと、
私自身この目で確認した思い出があります。
そのため、記述があっているとは限りません。

Re: 番場PAについて - T.T.@「旅の記録」管理人 URL

2017/02/02 (Thu) 22:30:57

IC番号については公式の情報がエリアガイドくらいしかないですし、まだ信用できる情報源だと思っています。また、今のところ誤植があったという証拠(当時の写真等)は見つかっていません。
とはいえ怪しい記述もところどころありますし、資料をうのみにするのは危険であるとは感じているところです。


Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.